一枚の特選フォト「海 & 船」
スペイン・イサベル女王とコロンブスとの1492年「サンタ・フェ協約」
画像はスペイン南西部の大都市セビーリャ (Sevilla) の中心街に位置する 「インディアス古文書館 (Archivo de Indias)」 で展示
される史料の「サンタフェ協約」である。同協約はクリストファー・コロンブスとスペイン・イサベル女王との間で、大西洋西廻り
航海事業に関して、1492年4月17日に取り交わされた。
キャプションには、「Capitulaciones de Santa Fe/Capitulations of Santa Fe Patronato, 295. N.2Reproducción」と記される。
さて、8年ほどポルトガルに移り住んでいたコロンブスは、1484年頃ポルトガル国王ジョアン2世に、大西洋を西廻りでジパング (日本) などの 東洋 (インディアス) に到達する航海探検事業計画を提案し、お墨付きと援助を懇請した。だが、検討の結論は否であった。 コロンブスは、1485年中頃にスペインへ移り、紆余曲折の末、翌年の1486年にイサベル女王と謁見することができた。だがしかし、 諮問委員会はその計画を検討の末却下した。 彼は、自身の弟のバルトロメーをフランスや英国の宮廷に送り、その計画を売り込ませた。彼自身も、1488年再びポルトガルに赴き ジョアン2世に再検討を願い出たが、聞き届けられなかった。 彼は再びスペインへ戻り、イサベル女王に支援を願い出た。折りしも、イベリア半島におけるイスラム教徒のモーロ人による征服の最後の砦 であったグラナダのアルハンブラ宮殿 (Palacio de Alhambra) が、1492年1月2日に陥落し、ここにイスラム勢力からの国土回復が果たされた。 その直後の諮問委員会で、その計画を却下する決定が下された。 コロンブスは意を決して、フランスに向かうべくグラナダを後にした。だが、その後イサベル女王の思いは逆回転した。宮廷の急使がグラナダ から15㎞ほどの郊外にあるピノス・プエンテ村でコロンブスに追いつき、引き返すようにとの女王の命令を伝えた。 かくして、コロンブスはイサベル女王と交渉の末、1492年4月17日に、グラナダ郊外のサンタ・フェにおいて、航海事業に関する合意文書を 取り交わした。それがいわゆる「サンタ・フェ協約」(Capitulaciones de Santa Fe) である。画像はその協約書複製である。
両者の合意の要旨は以下の通りである。
2. これから先に発見されることになるであろう大洋の島々や大陸の「副王」(Virrey) および「総督」(Gobernador General) の地位が 与えられること。それらの地における統治者は、コロンブスが推挙する3名の候補者の中から選ばれること。 3. 新発見の地における物品の交易をめぐる紛争について、唯一の裁判官の地位がコロンブスに対し与えられること。 4. 新発見の地における交易によって得られる利益に関し、経費を差し引いた純益の10分の1がコロンブスの無税の取り分となること。 5. 今後なされる航海においてコロンブスがその費用の1/8を負担する場合、その利益の1/8をコロンブスの取り分とすること、
[画像撮影: 2018年9月29日 スペイン・セビーリャのインディアス古文書館にて][拡大画像: x28319.jpg]
[拡大画像: x28320.jpg: 協約の説明書き・スペイン語][拡大画像: x28321.jpg: 協約の説明書き・英語] |
2. 両側の書棚には数え切れないほどの資料収納箱が居並ぶ。 [拡大画像: x21318.jpg] |