一枚の特選フォト「海 & 船」
「曳舟川の由来」の碑 [墨田区向島]
画像は東京・墨田区の押上2丁目交差点に設置された、「曳舟川」の由来を記した碑に描かれた曳舟情景である。
碑文には次のように記されている。
曳舟川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治2年(1659年)に開削したものです。当時は、本所上水、 亀有上水などと呼ばれ、瓦会根(かわらそね)(現越谷市)の溜井(ためい)から分水して、亀有から 四ツ木をへて本所と深川の各地に配水されたようです。 その後、享保7年(1722年)に上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ツ木街道が通り 水戸街道に接続しているため、次第に重要な交通路として利用されるようになりました。 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「サッパコ」と呼ばれる田舟のような船に旅人を 乗せ、岸から引かせたことによるものです。 ...........(省 略).........
昭和29年6月東京都告示によって川としての役割は廃止され、昭和30年代を中心に埋め立てられて、道路として
整備されました。
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1 2 1. 画像に写るのが中之橋通りで、画像中央から右方向に通じるのが曳舟川通りである。画像の正面に見えるのが向島3丁目の三叉交差点である。 [拡大画像: x28546.jpg]
2. 小説家・佐多稲子 (本名: 佐田イネ; 1904-1998)が雑誌「プロレタリア藝術」に発表した「キャラメル工場から」は、彼女の出世作となった。
稲子は、家庭の事情で東京在住の叔父を頼って、父、祖母と共に、長崎から上京し、大正11年にこの川沿いの向島小梅町52番地 (現、隅田公園内) の家に
身を寄せ、牛嶋尋常小学校に通った。しかし、家計を助けるために中退を余儀なくされた。写真出典: 「すみだ郷土文化資料館」脇に建てられた
佐多稲子のガイド・パネルより。
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