一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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「第五福竜丸」の建造から廃船まで (6葉の写真と略年史)

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東京都立「第五福竜丸展示館」にパネル展示される「年表 第五福竜丸と展示館のあゆみ/第五福竜丸・建造から廃船まで」から抜粋した 略年史(ごく一部修正。文脈不変)、並びに6葉の第五福竜丸の写真である。


・ 1947年3月20日 第五福竜丸、和歌山県東牟婁郡古座町(現・串本町古座)の古座造船所でカツオ漁船「第七事代丸」として 進水する (船主は神奈川県三崎漁港の寺本正市氏)。(画像3)(画像4)
・ 1951年 静岡県清水市の金指造船所でマグロ漁船に改造される。
・ 1953年5月 焼津港の西川角市の所有になり、船名を「第五福竜丸」に改名される。
・ 1953年6月6月10日 焼津のマグロ漁船・第五福竜丸として登録され最初の航海(第1次航海)へ。(画像5)
・ 1954年1月22日 第五福竜丸、焼津港を出港する(第5次航海)。
・ 1954年3月1日 米国がビキニ環礁で水爆実験を行なう。第五福竜丸が被災する。
・ 1954年3月14日 第五福竜丸、焼津港に帰港する。乗組員23名、焼津協立病院にて診察を受ける。翌日2名の乗組員が「死の灰」 をもって東大病院へ行く。マグロが出荷される。
・ 1954年3月18日 厚生省、マグロ検査を指示する(指定5港)。
・ 1954年3月28日 第五福竜丸乗組員、米軍機にて東京に移送される(東大病院、東京国立第一病院)。
・ 1954年5月15日 俊鶻丸(しゅんこつまる)、ビキニ海域の放射能調査に出港する(同年7月4日帰港する)。
・ 1954年5月24日 文部省が第五福竜丸を買い上げる。
・ 1954年8月22日 第五福竜丸、東京に回航され、東京水産大学(品川)にて残留放射能の検査を受ける。(画像6)
・ 1954年9月23日 無線長の久保山愛吉氏死去。
・ 1954年12月31日 マグロ検査打ち切り。
・ 1955年1月4日 ビキニ被災の慰謝料として200万ドルを支払う旨の日米交換公文に署名する。
・ 1955年5月20日 第五福竜丸乗組員が退院し郷里に戻る。
・ 1956年5月31日 三重県伊勢市の強力造船所で改造され、東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」となる。
・ 1967年3月10日 廃船処分となり、江東区の解体業者に払い下げ、エンジンなどが売り払われ、船体は夢の島に放置される。 (画像1)
・ 1967年6月23日 NHKニュースで、「死の灰をあびた第五福竜丸解体」が報道される。
・ 1968年3月2日 「夢の島のゴミの中に第五福竜丸」との新聞報道がなされる。
・ 1968年3月10日 朝日新聞の投書欄「声」に、武藤宏一氏の「沈めてよいか第五福竜丸」が投書される。
・ 1968年3月19日 第五福竜丸を業者から買い取られる。
・ 1968年7月2日 第五福竜丸のエンジンを搭載した第三千代川丸が三重県熊野灘で沈没する。
・ 1969年7月10日 第五福竜丸保存委員会が発足する。
・ 1970年2月21日 船名を第五福竜丸に戻す「刻銘式」。(画像7)
・ 1971年1月 集中豪雨のため船体沈下、排水・浮上工事がなされる。(画像2)
・ 1976年6月10日 「第五福竜丸展示館」が開館する。


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[撮影2019年9月3日/撮影場所:夢の島公園内、東京都立第五福竜丸展示館(Daigo Fukuryu Maru Exhibition Hall, "The Lucky Dragon No.5" Exhibition Hall)]

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