一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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魚肥(干鰯・〆粕)や魚油の製造現場(ジオラマ)

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  江戸時代、江戸城下の人口増加に伴い、房総の沿岸は鮮魚の供給地となり漁業が発達した。鮮魚は、押送船(おしおくりぶね)によって、房総をはじめ、 相模・伊豆沿岸の漁村からも江戸へ運搬された。主に櫓走(ろそう)で航行し、耐波性と速さにその特徴があった。 また、房総沿岸では、幕末には捕鯨業も営まれた。さらに、江戸時代、九十九里浜の沿岸では、イワシがたくさん獲れた。そして、イワシ地曳網漁業の発展に伴って 全国一の魚肥(干鰯・〆粕)の生産地となり、江戸や浦賀の干鰯問屋を通じて全国に出荷された。 イワシを干せば干鰯(ほしか)に、油を搾った後のイワシは〆粕(しめかす)になった。どちらも肥料になった。

  さて、画像は、干鰯(ほしか)、〆粕(しめかす)などの魚肥や魚油を製造する作業場のジオラマである。説明パネルには、概略次のように 記される。魚肥(干鰯・〆粕)の生産: 陸揚げされた鰯(イワシ)は、その場で干鰯、〆粕、魚油に製品化される。干鰯は、砂浜に 鰯を広げて、春夏では10~15日、秋冬では30日近くかけて乾燥して、俵に詰められた。〆粕は、大釜の中で鰯を煮て、締め枠に入れて 圧搾したものを乾燥させた後、ほぐして俵に詰められた。魚油は、圧搾した時に〆粕1俵に魚油1升の割合で作られた。

[撮影日時:2019年7月24日/撮影場所:千葉県立博物館][拡大画像 1: x28655.jpg]

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2. 〆粕: 復元模型。製作協力 かねいち海産 戸邉敏氏。

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3. (画像左)〆粕: 平成30年製作 本館蔵(大利根分館製作) キャプションによれば、鰯(イワシ)を用いて再現した〆粕。煮沸(しゃふつ)後に圧搾し、 油分などを除いて十分に乾燥させると元の重さの約4分の1に減少した。打ち欠いた際に、形が残るものと粉々になるものとが生じる が、金肥(きんぴ)として流通した、と記される。

(画像中)魚油: キャプションによれば、平成30年製作 本館蔵(大利根分館製作)。 展示してある〆粕とともに得られた魚油である。約4.5㎏の鰯(イワシ)からは 300ml 程度の魚油が得られた(展示物はその一部で90ml 分)。魚油は、油皿(あぶらざら)に灯心を浸して燃やす行灯などの照明用燃料 として広く利用された、と記される。

(画像右)干鰯(ほしか): 複製 原材料 故・永田征子氏 提供。

4 「干鰯俵」本館蔵。キャプションには「利根川と江戸川が分かれる関宿や境には大きな 干鰯問屋があり、銚子周辺や常陸国で生産された干鰯が高瀬船によって運ばれてきました。干鰯俵は米俵と異なり、俵の編み目が 粗くなっています」と記される。



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