一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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河村瑞賢のつくった佐渡の小木湊の汐通し(しおどおし) [佐渡国小木民俗博物館]

画像は新潟県佐渡の南西部にある小木町宿根木の「佐渡国小木民俗博物館・弁才船「白山丸」展示館」において展示される地図である。 図中赤線の丸の中の最上部に橋が渡されているところが、河村瑞賢のつくった汐通しである。その汐通しの両サイドが小木の湊である。 キャプションには「佐渡国絵図(部分) 河村瑞賢のつくった小木港の汐通しがみられます」と記される。

「小木湊の汐通し(しおどおし)」と題する説明書きによれば、概略次のように記されている。

      慶安2(1649)年8月23日の南寄りの暴風雨のために、内のマに繋留するなどしていた船400隻余りが破損した。小木が本州と佐渡との渡海場 に指定され、金銀の積出港として発展する矢先における大惨事であった。
      小木湊は中央に城山が突き出ており、この山陰を使い分けることで、内のマか外のマに係留することで暴風に対処できるのであるが、それは 事前に風を察知し風下へと移動しなければならない。突然の大風が吹き始めてからではなす術もなかった。
      ほぼ20年後の寛文11(1671)年に河村瑞賢が幕命により西廻り航路を整備するため、小木湊を寄港地に指定しその整備に着手した。 城山の付け根を掘り割って「汐通し」(運河)を造った。汐通しは総長20間(約36メートル)、幅7間半(約13.5メートル)ほどのもので、当時の 900石積み船(船幅25尺:約7.5メートル)が、風が吹いても外海に出ないで城山の陰へ回れるようになった。 この汐通しは砂が溜まったり、問屋の新設など時代によって埋められたりするが、そんな時に強風によって係留船が被害に遭い、再度掘割がなされること 三度繰り返した。

佐渡国絵図。佐渡における小木湊の位置(赤線の丸)が示される。

[撮影年月日:2020.10.21/撮影場所:「佐渡国小木民俗博物館・弁才船「白山丸」展示館」、新潟県・佐渡・宿野木]
1. [拡大画像: x28758.jpg]
2. [拡大画像: x28759.jpg][拡大画像: x28960.jpg: 説明書き]


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