一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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河村瑞賢の肖像画と事績(航路開拓など)

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新潟県佐渡島南西部の小木(おぎ)半島の海沿いに位置する宿野木は、その昔北前船の船主・船大工らが多く暮らしていた裕福な 集落であった。その宿根木に「佐渡国小木民俗博物館」が建つ。復元された千石船「白山丸」の展示館も併設されている。 画像は、同博物館に展示される河村瑞賢(1618年~1699年)の肖像画である。図画の言われの説明はないが、瑞賢は江戸時代、幕府の命により日本沿岸の航路や港の 整備・開拓に取り組んだ。いわば日本沿海航路整備のパイオニア的人物であった。 展示パネルには、瑞賢の事績や航路整備の背景、手法などを簡潔に説明している。その内容紹介に当たり、正確性を期すために以下の通り原文の まま記す。


    河村瑞賢(1618年~1699年)
    1618年(元和4年)2月、伊勢国 度会郡 東宮村(三重県 度会村 南島町)に生まれる。13歳の時江戸に出て車力に就く。 伝えられるところによれば、品川の崖の下に流れ着く孟蘭盆の瓜や茄子を見て、乞食に拾い集めさせ塩漬けにして、普請小屋 などで売りかなりの利益を得たという。 瑞賢が莫大な資産を作るようになったのは、1657年(明暦3年)の江戸大火に際して木曽の山林の買い占め にあったと言われる。彼は機才に富む人物と言われるが、常に綿密な調査と周到な用意があった。 瑞賢の事業の中で、最も特筆すべき重要なものは、東廻り・西廻り航路の開発と畿内治水の二大事業である。

    1. 東廻り航路の刷新、安定
    1670年(寛文10年)、幕府は瑞賢に奥州信夫郡(福島県)の幕府米数万石を江戸に海送するよう命じる。瑞賢は現地調査を 行ない、その米の海上輸送方策を執る。

    2. 西廻り航路の刷新、安定
    1672年(寛文12年)、出羽国村山郡(山形県最上川上流)の幕府米を江戸に海送するよう命じられ、瑞賢は同じように安全で効率的な海上輸送 方策を実行した。

    3. 畿内の治水事業
    大坂・淀川の河口に新安治川を開き、俗称「瑞賢堰」と言われる防波丘を造った。

    4. その他の事業
    越後高田藩の中江用水、各地の湊の整備、鉱山開発指導などを行なう。 佐渡小木(おぎ)湊も汐通しが造られた。 1699年(元禄12年)、江戸にて病没。82歳する。鎌倉の建長寺に葬られた。

[参考1]普請小屋: 地域住民による資金・労務などの奉仕をもって作ったり維持する小屋。
[参考2]孟蘭盆: 仏教行事の一つ。


    航路開拓は必要となった背景
    江戸の米不足
    明暦の大火災(明暦3・1657年)、俗に言われる「振り袖火事」で江戸の街のほとんどが全焼した。その直後からの再開発によって 市街地が拡大、急激な人口増加となった。このため大きな社会問題となったのが生活物資、とりわけ主食の米不足であった。

    江戸へ米を送る
    それまでの米輸送は小型船での近距離輸送と陸路輸送の組み合わせであった。輸送量が少なく経費が多額であった。そこで注目されたのが 大量の米を安価に輸送できる「廻船輸送」による解決であった。寛文10(1670年)幕府は江戸の材木商人河村瑞賢に 命じて、陸奥(宮城、福島)の米を輸送する航路を整備させた。寛文11年にはこの東廻り航路が確立した。

    西廻り航路の開発
    寛文12(1672)年には、日本海側の天領・出羽国最上郡(山形県)の御城米を酒田湊から輸送するよう瑞賢に命じた。 それまでは、敦賀や小浜(福井県)で船荷を降ろし陸路を経て琵琶湖から京、大坂へ輸送するのが通常であった。しかし、その時間、 手間、経費は莫大であった。西廻り航路の整備により関門海峡から瀬戸内海を経て大坂、江戸へと繋がった。


    瑞賢の手法
    河村瑞賢は、徹底した現地調査と問題点の改善策を提案し実行した。
    ① 寄港地の指定・整備と番所の設置。船の状態や水夫の働きぶりなどを監視・管理し海難事故の適正な措置を実行。
    ② 御城米(幕府の所有米)を運ぶことは公務であることを自覚させた。「御城米通船旗(ごじょうまいつうせんき)」(日の丸がついた旗) の制定。
    ③ 水夫の積み荷を多目に認め、その販売も自由にして水夫の増収を図り、万が一の場合には妻子の生活保障を提案。
    ④ 入港税を廃止した。(税を逃れるために無理をする事故の予防)
    ⑤ 航路上の難所には灯台を設置。
    ⑥ 船の性能向上のための改良や航海技術の普及などを実行した。
    苦労人といわれる瑞賢は、働く者が報われる制度を実施した。

[撮影年月日:2020.10.21/撮影場所:「佐渡国小木民俗博物館・弁才船「白山丸」展示館」、新潟県・佐渡・宿野木]
1. 肖像画 [拡大画像: x28737.jpg]
2. 河村瑞賢(1618年~1699年) [拡大画像: x28752.jpg]
3. 江戸の米不足 [拡大画像: x28753.jpg]
4. 西廻り航路の開発、瑞賢の手法 [拡大画像: x28754.jpg]
5. 瑞賢の手法 [拡大画像: x28755.jpg]


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