一枚の特選フォト「海 & 船」
坂本龍馬・お龍、大坂・天保山から新婚旅行に出立する
大阪港(築港)エリアは周りを海に囲まれた六角形の小さな島である。その一方が安治川に面している。そして、「天保山
公園」が安治川に面して所在する。同公園の中の立札案内には、「大阪港は「水の都・大阪」の海の玄関口。難波津(なにわづ)と呼ばれた
古(いにしえ)の時代から、近世の出船千艘・入船千艘のにぎわい、そして近代に建設された現在の港。、、、、」と記される。
さて、江戸時代末期の慶応2年3月、坂本龍馬・お龍が西郷隆盛に勧められて、大坂・天保山から新婚旅行に出立した (龍馬が京都伏見の寺田屋にて、伏見奉行の襲撃を受け九死に一生を得た事件からわずか数ヶ月後における旅立ちであった)。 画像は坂本龍馬・お龍の肖像写真である。(出典: 同公園内に立てられた、二人の旅立ちを紹介する案内板より)
同公園に立つ案内板には次のような説明書きが添えられている(原文の通り)。
慶応二年一月、伏見奉行による「寺田屋襲撃事件」で九死に一生を得た「龍馬」は、西郷隆盛たちの勧めで同年三月 、妻「お龍」とともにこの地「大坂・天保山」から薩摩藩軍艦・三邦丸に乗船し、鹿児島天保山へ向け出帆しました。 鹿児島入港後、龍馬夫妻は霧島や高千穂峰登山へと足を延ばします。 後に「日本最初の新婚旅行」と言われる幸せな旅路でした。」 [参考]三邦丸(さんぽうまる)。慶応2年=1866年。
[撮影年月日:2020.10.10/撮影場所: 天保山公園、大阪市港区築港・天保山/地下鉄中央線「大阪港駅」徒歩5分]
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3 1. 京都伏見の「京橋」のたもとにある船着き場と運河。燈籠の左側の住居の裏手に「旅籠・寺田屋」がある。 2. 旅籠の「寺田屋」。龍馬はここで襲撃に遭った。龍馬は、下図中央左寄りの「寺田屋」から、その左斜め上にある運河沿いの材木小屋に避難し、 追っ手を逃れることができ九死に一生を得た。 3. 「寺田屋」の敷地内に建立された龍馬の立像。
4 「京橋」の橋下の流れは宇治川(地図下方の川)に注ぎ、淀川を経て大坂に通じる。他方、慶長年間(1596~1615年)に角倉了以が 京都市中と伏見の間に高瀬川を開削するに及んで、京橋付近は船着き場として、京と大坂の間を行き来する旅人や貨物の積み降ろしなどで大いに 賑わった。 画像1-4の撮影: 2020.10.5/京都伏見市街にて [拡大画像: z23654.jpg: 伏見市街の 観光案内拡大地図] |