一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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高瀬川での曳船風景 (写真と図絵) [京都伏見「三栖閘門資料館」]

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画像1のキャプションには「舟曳き風景(明治44年)」と記される。画像2は「舟曳き絵図(京都市歴史資料館所蔵)」と題される。いずれも 高瀬川にて舟を曳いている舟曳き衆の姿を活写し、また描いている。 両画像の出典は、京都伏見にある「三栖閘門資料館」の「高瀬川の開削でより栄えた伏見港」と題する展示パネルである。

同展示パネルのなかの「高瀬舟で運ばれた物資」と題する説明コーナーには次のように記される。

    「材木、薪炭、米、塩などを積んで、川上をめざす高瀬舟の一団。淀川舟運で大坂から運ばれてきた物資は、伏見港でいったん降ろされ、 10数隻の高瀬舟に積み替えられて夜明けとともに共綱(ともづな)につながれて高瀬川を上っていきました。(… 中略 …)。高瀬舟の 荷物を積み降ろししたりするために設けられたのが「舟入り」(ふないり)で、二条~五条間には9ヵ所あったといわれています。」(原文のまま)。

また、同展示パネルのうちの 「運河として誕生した高瀬川」と題する説明コーナーには、角倉了以(すみくらりょうい)父子による高瀬川の 開削と舟運について、概略以下の通り記される。

    淀川下流の大坂から船によって運ばれて来た物資は、伏見港で荷揚げされた後、陸路を利用して京都へ送り届けられていた。これを一変させたのが、 角倉と息子の素庵によって、1614年(慶長19)に開設された運河としての高瀬川であった。

    開削工事は1611年(慶長16)から約3年の月日をかけて行われ、 京都二条から伏見港までを結んだ。運河の幅は約8m、全長は11.1kmであった。この運河の完成により、伏見港に集積された物資は 底の平らな十五石積みの高瀬舟が京の町への水上輸送路・手段として活躍した。

    高瀬川によって、大坂~伏見~京都が舟運で結ばれ、中継点となった伏見港は、さらに繁栄した。また伏見港は 西国大名が参勤交代する時の滞在地となり、中心である京橋付近には本陣が置かれ、宿場町としても賑わった。


辞典内関連サイト
京都・高瀬川の舟入址、高瀬舟の舟曳風景 (古写真)


[撮影年月日:2020.10.5/撮影場所: 京都伏見の「三栖閘門資料館」]
1.[拡大画像: x28800.jpg] 2.[拡大画像: x28801.jpg]

 「三栖閘門資料館」の展示パネル
 「高瀬川の開削でより栄えた伏見港」
 [拡大画像: x28793.jpg]


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