一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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「伏見港と伏見の町」(ジオラマ模型) [京都伏見、三栖閘門資料館]


京都伏見の「三栖閘門資料館」には「伏見港と伏見の町」と題する案内パネルとジオラマ模型が展示される。パネルの説明書きは概略次の通りである。 ジオラマは江戸時代中期の伏見港周辺の様子を立体化している。
    関ヶ原の戦い(1600年・慶長5)で天下を掌握した徳川家康は、豊臣秀吉による伏見町づくりを引き継ぎ、その人口は増加し、さらに発展して行った。 伏見と大坂間を過書船(三十石船)が行き来するようになると、伏見港は物資でけでなく多くの旅人で賑わうようになった。 1635年(寛永12)に参勤交代が制定されると、西国の大名は大坂から船で伏見港に上陸し、東海道を江戸へ向かうようになりました。 このため伏見港には多くの大名屋敷・倉庫・旅籠が並び、伏見港は「京都と大坂を結ぶ」から「西国と東国を結ぶ」重要な拠点へと 発展した。この模型は、江戸中期の古地図を基に製作されたが、町並みは少し誇張されている。

画像下方の水域は「宇治川」。最左端において縦に流れ下る川筋中央部に架かるのは「肥後橋」(右側の袂に番所がある)である。 画像最上部に派流(運河、水路)が流れ、その中央部に三つの橋がU字形に並んでいる。左側に「京橋」、右側に「蓬莱橋」、下方に 「今富橋」が架かる。「京橋」北詰左には「大鼓櫓」、そのすぐ右に「船宿・寺田屋」がある。 京橋から蓬莱橋にかけての水路北岸辺りが「南浜」と称され(寺田屋に極近い限られた範囲の岸は「寺田屋浜」と称される)、伏見港の中でも 最もに賑やかであったとされる。

[撮影年月日:2020.10.5/撮影場所: 京都伏見の「三栖閘門資料館」にて][拡大画像: x28805.jpg]


伏見市街の観光案内拡大地図をご覧ください。

画面中央左寄りの「寺田屋」のすぐ左下に架かる橋が京橋、そのすぐ右側に蓬莱橋がある。慶長年間(1596~1615年)に角倉了以が 京都市中と伏見の間に高瀬川を開削するに及んで、京橋付近は船着き場として、京と大坂の間を行き来する旅人や貨物の積み降ろしなどで大いに 賑わった。
* 地図撮影: 2020.10.5/京都伏見市街にて [拡大画像: z23654.jpg: 伏見市街の 観光案内拡大地図]


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