一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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雪月花(せつげつか) 淀川」(葛飾北斎画)

画像は葛飾北斎(1760-1849年)が描いた絵画「淀川」である。二十石か三十石船らしき数艘の舟などが描かれている。
* 画像出典: 京都伏見の「三栖閘門資料館」の展示パネル「舟運によって栄えた港町・伏見」。

ところで、伏見市中の船宿「寺田屋」(坂本龍馬らが襲撃された事件の舞台となった船宿)の前に「三十石船(さんじゅうこくぶね)」と 題する立札が に建てられている(説明書きは原文のままであるが、読点を幾つか付け加えた)。

    「三十石船とは、江戸時代に淀川を上下した客船である。乗客は、まず船宿に入り、それから乗船していた。寺田屋も有名な船宿の一つで、 この付近には多くの船宿が並んでいた。淀川は、平安時代以来舟運が盛んで、豊臣秀吉、次いで徳川家康が過書船の制度を定め、 運賃や営業に 対し税を課すなど取締りを行い、伏見大手筋には過書船番所を設けていた。 船の大きさは二十石積から三百石積で、 数百隻が運行し、貨物や旅客を運んでいた。その内三十石船は、長さ約十七メートル、巾二・五メートル、 船頭四人、定員二十八名 の旅客専用船で、上りは一日又は一夜、下りは半日又は半夜で、伏見と大阪天満の間を運行した。船賃は江戸時代中期で約 五十文、 途中枚方に立ち寄る。そこでは船客に「くらわんか」と声をかけながら、餅を売りにきた。そうした風俗や船内の様子は、落語や 講談浪曲で有名である。なお、三十石船は明治四年(一八七一)に廃船になった。 寺田屋」

* 辞典内関連サイト: 「三十石船(模型)」

[撮影年月日:2020.10.5/撮影場所: 京都伏見「三栖閘門資料館」][拡大画像: x28812.jpg]


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1. 京都伏見の「三栖閘門資料館」の展示パネル「舟運によって栄えた港町・伏見」。 [拡大画像: x28815.jpg]
2. 同上パネルに提示される江戸時代の過書船(かしょせん)鑑札(営業許可書)である。


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