一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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太平洋探検家ジェームズ・クック(肖像画)


画像は18世紀の太平洋探検航海家・英国人ジェームズ・クックの肖像画である。

1768年~79年  英国海軍所属のジェームズ・クック、第一回太平洋探検航海に出航した。彼はニューファンドランドの海岸測量に携わっていたが、 彼の測量・海図作成の技術が認められ、1768年英国王立協会によってタヒチに派遣された。1769年に起こる金星の太陽横断を観測するためであった。 同時に「未知の南方大陸」の調査も頭の片隅に入っていた。タヒチ島で金星観測と島の測量を終えたクックは、1769年ニュージーランドに到達し、 クック海峡を通過し南北二つの島の存在を確認した。また、彼は、ニュージーランドおよびオーストラリア北東沿岸を測量しながら、 詳細な地図を製作した。

1772年~1775年の第二回航海において、ハリソンが考案したクロノメーターを用いて経度の測定を行った。また、南緯60度付近の高緯度において 南大洋を周航し(地球を周回し)、ヨーロッパ人として初めて南緯66度33分以南の南極圏に 突入し、南緯71度10分まで達した。当時としては最も南方に到達した記録を樹立したものであり、 彼はこの航海をもって、大西洋とインド洋の南緯60度より北側には少なくとも「未知の大陸」(いわゆる南方大陸)は存在しないと確信した。 彼は、氷に阻まれ、それ以上に南下できなかったことから、「仮に大陸が存在したとしても、氷に閉ざされているはずであるから、誰も近づくことはできない、 発見することの価値はない」と見切りを付け、南極大陸を発見するには至らなかった。南方大陸の存在を否定する一方で、南太平洋の多くの島嶼 に到達した。いずれにせよ、彼の航海によって、メルカトルやオルテリウスが世界地図の南方下辺に大きく描いていた南方大陸は、地図上から消し去られることに つながった。

その後、彼の同時代の極地探検を通じて、南極大陸の存在が発見されるに至ったが、少なくともオーストラリアや南極大陸は、プトレマイオスが 紀元後2世紀に著わした世界図において描いた「未知の南方大陸」より遥かに小さく、全く別物の大陸であった。

クックの探検航海は、測量による正確な海図を作成するための、いわば科学的航海と位置づけられる。それまでの単なる冒険的航海とは異なる性質を 帯びるものへと移行したといえる。

[撮影年月日:2020.9.23/撮影場所: 名古屋海洋博物館][拡大画像: x28983.jpg]


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