一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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白瀬矗(しらせのぶ)中尉と開南丸(写真・模型)

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1. 「開南丸」模型: 全長33.48m、総トン数204t、縮尺1/100。
2. 「開南丸」甲板。
3. 白瀬矗。
4. 「日章旗を立て、視野に入る全地域を「大和雪原 (やまとゆきはら)」と命名する白瀬隊」と記される。


白瀬矗中尉 (1861~1946年)
・ 1861年(文久元年)6月13日秋田県由利郡金浦(現・にかほ市)にある浄蓮寺(じょうれんじ)の長男として生まれる。
・ 1909年(明治42年)に米国探検家ピアリーが北極点の踏破に成功したことを知った白瀬は、探検目標を北極探検から南極探検へと転換した。
・ 1910年(明治43年)11月29日、白瀬矗中尉率いる南極探検隊18名、木造船を改造した帆船「開南丸」 で東京・芝浦を出港する。日本人で初めて南極探検に出立したもの。
・ 1912年1月20日に欧米以外の民族としては初めて南極に上陸した。1月28日、南緯80度05分、西経156度37分に到達し、 日章旗を立て、視界に入る全域を「大和雪原 (やまとゆきはら)」と命名し、日本領土とすることを宣言した (南極点までなおも1,000km以上を残していた)。
・ 1912年6月20日、延べ4万8,000km、1年7ヶ月近くに及ぶ探検から、一人の死傷者も出すことなく、東京・芝浦に帰還した。
・ 1946年(昭和21年)9月4日死去(享年85歳)。

なお、1933年(昭和8年)に、米国地学協会は「大和雪原」「開南湾」「大隅湾」を公認した。また、 1957年に日本が「白瀬氷河」を命名し、1961年にニュージーランドが「白瀬海岸(Shirase Coast)」を命名した。


* 出典: 「白瀬矗の生涯と南極探検」と題する博物館展示パネル。
[撮影年月日:2020.9.23/撮影・出典: 名古屋海洋博物館][拡大画像: x28943.jpg: 開南丸模型][拡大画像: x28942.jpg: 説明書き「白瀬矗の 生涯と南極探検」]


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