一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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「関宿城博物館」の河川舟運の展示を総覧する [千葉県立関宿城博物館]

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千葉県立関宿城博物館の展示のうち、利根川の東遷事業やその他の浚渫・治水事業、運河開削、水閘門建設、利根川とその支流を舞台にした高瀬船や 蒸気船「通運丸」による舟運に関する展示などを中心に総覧したい。館内には高瀬船の大型模型(画像1)が展示される。

近世の利根川・江戸川に関する展示: 利根川の東遷、河川改修、沼の干拓などの展示
展示パネルの説明によれば、近世初期、徳川幕府は利根川流域でいろいろな改流工事を行った。それまで江戸湾に注いでいた利根川本流を、 流路の締切や開削を繰り返しながら、順次東方に移し替え、1654年(承応3年)に銚子河口から太平洋に流す工事を完成させた。 また、1624~44年(寛永年間)に、関宿と金杉(かなすぎ)とを結ぶ新川が開削され、現在の江戸川になった。 これらの工事により、利根川と江戸川は、江戸と東北地方とを結びつける水路として重要な役割を果たすことになった。 また、江戸時代中期にも、大規模な河川改修や新田開発をはじめ、印旛沼・手賀沼の干拓などが度々試みられた。そして、これらの治水工事の 過程で、様々な河川浚渫・土木工事技術が創案され、今日の河川治水体系の礎が築かれたことが紹介されている。

「利根川の東遷」: 人工的な流路変更の説明パネルと流路変遷図の展示
利根川はかつて江戸湾に注いでいたが、江戸時代初期に、赤堀川の開削などの多くの工事を経て、銚子に向けて流路が変えられた。これらの 工事による流路の変遷は「利根川の東遷」と呼ばれる。
1) 中世末近世初頭(第I期): 会の川締切と利根川
2) 近世(第II期): 新川通の開削、赤堀川の初開削と拡幅
3) 近世(第III期): 江戸川の開削
4) 近世(第IV期): 赤堀川の増掘削(通水)
上記の時代区分の下、流路変遷図4葉を中心に据え、河川開削などの略史に関するパネルが展示される。

近世における土木工事など
・ 近世の「関宿棒出し」の模型(縮尺1/200)、「棒出し」の護岸に用いられた石(実物)などの展示。
・ 近世におけるさまざまな河川・沼地の浚渫法・築堤法(工法概説と図絵)、「棒出し」の働きを川の流れの観点から概説するパネル展示など。
・ 土木工事に多大な貢献をした伊奈父子などの人物紹介: 江戸時代の関東郡代であった伊奈氏の祖である伊奈忠次(1550-1610)・忠治 (1592-1653)の父子は、江戸時代前期の河川改修土木工事などによる治水事業において大きな業績をあげた。

近現代における河川土木工事など
・ 利根川・江戸川などの洪水・破堤災害、河川改修工事、水閘門工事などに関する略年表。
・ 浚渫船による浚渫工法の概説と浚渫船の模型 (縮尺1/60)展示。
・ 明治時代に輸入され、浚渫工事に活躍した浚渫船(「鹿島号」「印旛号」「千葉号」「小御門号」)の写真紹介。
・ 関宿水閘門(水門&閘門; Sekiyado Floodgate and Lock Gate)の模型。
関宿水閘門が1927年(昭和2年)に完成すると、それまで水量調節機能を担ってきた「関宿棒出し(せきやどぼうだし)」はその役目を終え撤去された。 水閘門は利根川と江戸川の水量を調節し、また船舶の航行を可能にするために設置されたものである。

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1. 「通運丸」模型(縮尺1/25)と「東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図」(歌川重清・画)。
2. 「近世境河岸の賑わい」(模型; 縮尺1/50)。
3. 昭和51年から平成5年頃まで、関宿水閘門に堆積した土砂の浚渫、利根運河の浚渫、中川の堤防工事のための浚渫作業などに活躍した水路浚渫機。 川の中だけでなく陸上をも走行できる。浚渫船では作業できない浅所箇所であっても、浚渫を可能にする特殊性能を擁する。

「利根運河」(利根川と江戸川を結ぶ運河)
利根運河の建設に尽力し功績のあったオランダ人技師ムルデルや利根運河会社の設立に寄与した政治家・実業家を紹介する。 運河は、ルムデル技師の手によって設計され、1890年(明治23年)に竣工した。翌1891年には、約37,000艘もの船が通過した。 関連史料: 「開削された当時の利根運河周辺図」、「現在の利根運河周辺図」、1941年の「利根運河改修ニ関スル陳情」、「利根運河 会社定款(複製)」、運河工事や通運丸通航の風景写真など。

近世の水運: 利根川水運の変遷や関宿関所などの図絵、諸国勝景「下総利根川之図」、千代田之御表「松戸宿船橋(まつどじゅくふなばし)」 の画(作・揚州周延、明治30年/1897年)、旧河岸・画 (旧河岸とは江戸時代元禄期以前に成立した河岸をいう)、河岸問屋とその仕事、 舟運議定書(船積み仲間が船荷の運賃・口銭などを評議・決定した記録書)、「近世境河岸の賑わい」(模型; 縮尺1/50)、 樽を積んだ高瀬船の写真(明治39年)、高瀬船の構造・部位名称図、高瀬船の小模型 (縮尺1/50)など。

近現代の水運: 房総地域の水運図、「明治中期頃の通運丸航路図」、水運の衰退と「明治40年頃の利根運河 交通運輸関係地方略図」、 江戸川を行く蒸気船(写真)、「通運丸」近景(写真)、通運丸の模型(縮尺1/25)と「東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図」(歌川重清・画)、 「廻漕問屋開業廣告」、「汽船広告」、河岸の繁栄を示す「近世境河岸の賑わい」模型 (縮尺1/50)と「境河岸の職業構成」、 樽を積んだ高瀬舟(写真)、高瀬舟の構造図、「富嶽三十六景 常州牛堀」(葛飾北斎・画; 天保2年/1831年)などを陳列する。

高瀬船と五大力船の模型(川船と海船の違いを示す)
高瀬船は、浅い河川でも通行可能にするために喫水は浅く、船首は水上を滑らかに進めるように平たい「立板づくり」になっている。東京湾を中心に 活躍した五大力船は海・川両用の船であり、船首は波を切って進めるように「水押(みおし)」が設けられていた。近世の関宿(関宿向河岸)には 関所(水番所)が設営され、「入り鉄砲出女)を厳しく取り締まっていた。

河川が育てた文化: 船神輿(写真)、「水の信仰」、河童や龍にまつわる「水の伝説」、香取神宮式年神幸祭(しきねんじんこうさい) と御座船の舳先飾り、「香取神宮参詣図」などを紹介する。

屋外展示: 実物大の水陸両用浚渫機と浚渫船「山王丸」など。

[撮影年月日:2020.7.10/撮影場所: 千葉県立関宿城博物館; 利根川と江戸川との分岐地点近傍に所在する/住所: 千葉県野田市関宿三軒家143-4。 電話: 04-7296-1400]
1. 高瀬船。 [拡大画像: x29013.jpg]
2. 大正期の高瀬船写真。キャプションには「江戸川の帰帆 大正期 千葉県立房総風土記の丘 蔵」と記される。 [拡大画像: x29014.jpg]


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