一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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「利根運河」(建設工事・「通運丸」航行の写真など) [千葉県立関宿城博物館]

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博物館内の展示パネルにおける説明書き要旨は以下の通りである。昔、東京から銚子方面へ行く場合、「利根運河」(利根川と江戸川を結ぶ運河)の開通以前においては、江戸川 沿いの加村河岸で一旦下船し、利根川沿いにある布施河岸まで約8㎞を歩き、再び乗船して銚子を目指した。 「開削された当時の利根運河周辺図」と題するキャプションによれば、利根運河の開削は、広瀬誠一郎や人見寧 (ひとみやすし) らが興した 利根運河会社により1888年(明治21年)に着工され、2年後に竣工した。当時は、川水は江戸川口から利根川に向かって緩やかに流れていた。

「利根運河」と題するキャプションによれば、江戸時代から明治中期にかけて、大量の物資を長距離輸送する主役は水運であった。 オランダ人技師ムルデルの設計により、1890年(明治23年)、利根運河は利根川・江戸川間に竣工した。運河は航行の短縮にもなり、翌1891年には 約37,000艘もの船が通過し、まさにこの時代の花形であった。ただし、他の説明書きによれば、運河が竣工しても、暫くの間蒸気船の航行は、 堤防の保護を理由にして認められなかった。約1年間の試運転を経た明治26年4月に、「通運丸」の本格的航行が開始された。また、東京・銚子間の 直行便はその2年後の明治28年2月15日から始まったと記される。
・ 同館では、利根運河の建設に尽力し功績のあったオランダ人技師ムルデルや利根運河会社設立に寄与した政治家・実業家を紹介する。

利根運河が完成したことで、江戸川から利根川下流域への連絡が改善され、蒸気船は東京~銚子間の直行便が運航されるようになった。 「通運丸」の通行量も、明治後半から大正始めにかけて次第に増加して行った。だがしかし、利根川などの河川水運を担ってきた内国通運は、 経営の刷新を図る中で、今後極端に収益が落ち込むと予想される水運事業からの早期撤退を決定し、「通運丸」を東京通船株式会社に 売却した。大正8年には、利根川筋の舟運事業が廃止された。

時は下って、昭和10年の洪水により、利根運河の水堰(利根川口の水堰)の一部が崩壊し、関宿閘門が越流した。さらに、昭和16年の洪水では 水堰が完全に崩壊すると同時に、大量の土砂が運河に流入した。1941年(昭和16年)のこの洪水被害のため、利根川口が締め切られて以降、 利根運河には通水しなくなり船舶の航行ができなくなり、事実上運河の役目を終えた。かくして、1972年(昭和47年)からの建設省による改修工事を経て、現在では 究極的に運河としての役目を終え、その水辺は市民の憩いの場となっている。

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[撮影年月日:2020.7.10/撮影場所・出典: 千葉県立関宿城博物館]
1. 「通運丸」の利根運河通航風景写真。「利根運河完成後の様子 柏市 山中金三所有 流山市立博物館」。 [拡大画像: x29018.jpg]
2. 「利根運河の工事風景 流山市 矢口浩所有 流山市立博物館」。 [拡大画像: x28991.jpg]
3. 「利根運河の工事風景 流山市 矢口浩所有 流山市立博物館」。 [拡大画像: x29019.jpg]

4. 「開削された当時の利根運河周辺図」。「建設省江戸川工事事務所流水調整課発行「利根運河」図-10利根運河平面図」より作成されたもの。  [拡大画像: x29015.jpg][拡大画像: x29016.jpg:「現在の利根運河周辺図」]
5. 「利根運河附近関係畧略図」(畧=略)。 [拡大画像: x29017.jpg]


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