一枚の特選フォト「海 & 船」
利根川水系における「河岸の賑わい」(ジオラマ)
(北関東域内の河岸分布図を含む)
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画像1. 「河岸の賑わい」と題する河岸のジオラマ。 [拡大画像: x29009.jpg]
千葉県立関宿城博物館では、利根川・江戸川を中心に、その河岸の成立や発展について、またその水運の発展や衰退について
紹介している。
江戸時代初期の利根川東遷事業によって利根川水運が大きく発展し、高瀬舟による江戸と流域各地との物資や人々の往来が盛んになった。 近世の水運は各地の年貢米輸送を大きな目的としていたが、江戸市中の発展に伴い農産物や商品などの物資や旅客の輸送に重点が置かれるように なった。特に利根川水運は大消費地江戸と生産各地を結ぶ大動脈として発展した。 また、近世における高瀬舟などによる水運の発展は、流域の農村にも経済発展の恩恵をもたらし、川の港「河岸」へと変貌させていった。 河岸には、船による輸送を担う船問屋(河岸問屋に一つ)、船持ち・船頭・船乗り、荷積み人夫などの舟運に関係する職業に従事する 人々を中心に、海産物を扱う浜方問屋、米や大豆などを扱う雑穀問屋関係者やその他の商人・職人・百姓など多くの人々が暮らす一方で、 また河岸には数多の物資や人々が集積され、賑わいを見せていた。 明治期に入ると蒸気船「通運丸」が就航し水運の表舞台に登場し、河川舟運・交通の発展は最盛期を迎えた。 だがしかし、江戸時代から明治期にかけて物資や人々の輸送に大きな役割を果たした利根川・江戸川水運は、道路網の整備や鉄道輸送の 発展により、その歴史に幕が閉じられるに至った。そして、繁栄にあった河岸はさびれ、新たな町づくりの模索が求められ、時代は移り変わって 行った。
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[参考画像] [撮影年月日:2020.7.10/撮影場所: 千葉県立関宿城博物館(利根川と江戸川との分岐地点近傍に所在する/住所: 千葉県野田市関宿 三軒家143-4)] |