シップ・モデルに見る、「三島丸」のシルエット [東京海洋大学]
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東京海洋大学 (Tokyo University of Marine Science and Technology) 海洋工学部
(越中島キャンパス) に展示されている日本郵船の「三島丸」のシップ・モデルとそのシルエットである。
模型の銘板には英語で、「T.S.S."Mishima Maru" & "Miyazaki Maru" for European Line of the Nippon Yusen Kaisha,
built and engined by Kawasaki Dockyard Co. Ltd., Kobe, Japan, 1909/tonnage: gross 8500, net 5270」、と記されている。
すなわち、1909年神戸で建造された欧州航路のための「三島丸」、「宮崎丸」、8,500総トン/5,270純トン
ということだが、それ以上の説明書きはない。
[2012.3.22 東京海洋大学(越中島)にて] a[拡大画像: x24385.jpg][拡大画像: x24384.jpg] b[拡大画像: x24386.jpg]
1 1.[拡大画像: x24387.jpg]
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"Mishima Maru"、"Miyazaki Maru"とは、日本郵船の欧州航路において活躍した「三島丸」、「宮崎丸」である。
Fumio Nagasawa氏作成の「なつかしい日本の汽船」(大正期/欧州航路/欧州航路・日本郵船)から
両船に関連する部分を引用(摘要)させていただく
「日本郵船は明治29年 (西暦1896年) 3月15日に欧州航路を開設した。その増強を図るために"香取丸"型と"諏訪丸"型の計5隻を建造し、
大正13年 (1914年) 末までに就航させた。日本郵船は、第一次世界大戦勃発後も、戦禍の影響が大きい欧州航路の運航継続を決定した。
しかし、大正4年 (1915年) 12月21日に"八坂丸"がエジプトのポートサイド付近でドイツ潜水艇によって撃沈された。
このため、1915年12月31日に横浜を出航する"三島丸"からは、航海の安全上、南アフリカの喜望峰を迂回させる航路をとることになった。
大正6年 (1917年) 2月1日に至り、ドイツが無制限商船撃沈を開始し、危険が著しく高まった。このため、海軍省監督の下、
同年3月20日横浜出航の"宮崎丸"からは、船体に迷彩を施し武装を行った。同年8月からは"危険区域航行"の際には連合国艦艇の
護衛を受けることとなった。」
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辞典内関連サイト: 海洋博物館-日本
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