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1. [拡大画像: x24582.jpg]
2. [拡大画像: x24583.jpg]
3. [拡大画像: x28584.jpg][拡大画像: x24585.jpg]
4. 河川輸送の主役であった荷船(高瀬舟)。大量の米俵を積載しているようで、吃水はかなり深いと考えられる。
船尾の舵の吃水状況に留意。 [拡大画像: x2577.jpg]
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5.「荒川の河岸場」と題する説明パネル曰く、「河岸場(かしば)は、海岸にある港と同じように、川船が発着する場所です。
河岸場には、荷船に積み込む荷物や多くの人々が集まり、河岸場に続く道沿いに町ができていました。荒川では、荷船がたどり
着ける最上流地点にあった熊谷の「新川河岸」、入間川と荒川の合流点で、川越への渡し場でもあった上尾の「平方河岸」
(ひらかたかし)などが、大変栄えていました。」
[拡大画像: x24586.jpg][拡大画像: x24587.jpg: 「荒川の河岸場」パネル]
[拡大画像: x24588.jpg: 明治・大正時代の河岸場の分布]
6. 米俵が満載された荷船。「荷船が運んだ物」と題する説明パネル曰く、「周辺の農村から河岸場に集められた、
米・麦・さつまいも・しょう油などの農産物は、荷船に積んで東京に運ばれました。秩父山地の木材・炭、川口の鋳物も重要な積荷でした。
東京からは、塩・酒・海産物の干物などの食料品や下肥(しもごえ)が主な荷物でした。肥船で運ばれた下肥は、貴重な肥料として農産物
の生産向上に役立ちました。」
[拡大画像: x24589.jpg][拡大画像: x24590.jpg: 「荷船が運んだ物」パネル]
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