一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
荒川の荷船・高瀬舟の舵
画像は、荒川本流および、その支流の新河岸川、入間川、高麗川などの荒川水系において、河川輸送の主役を担った荷船・高瀬舟の舵
(実物)である。
荒川本流では、荷船が辿り着ける最上流の熊谷と、最下流の東京との間の水運を担った。 舵では、5片の部材がほぼ直角三角形状に張り合わされ、しっかりと固定されている。 下記画像4の荷船から分かるように、舵の下部7、8割が水面下に没しているようで、吃水はそれほど深くない。実物大の直角 三角形状舵のうち、下半分(ほぼ水面下となる部分)は横長となっている。これは、降雨が少なく水嵩が低位となることや、 土砂の堆積作用で河川の深度が浅くなることも考えられ、舵が損傷を受けないように できるだけ横長とし吃水を浅く保ちつつも、舵効(舵の効き目・実効性)を十分保持するためであろう。 [2012.04.28 埼玉県立川の博物館にて][拡大画像: x24456.jpg][拡大画像: x24591.jpg] |
1 2 3 4 1. [拡大画像: x24582.jpg] 2. [拡大画像: x24583.jpg] 3. [拡大画像: x28584.jpg][拡大画像: x24585.jpg] 4. 河川輸送の主役であった荷船(高瀬舟)。大量の米俵を積載しているようで、吃水はかなり深いと考えられる。 船尾の舵の吃水状況に留意。 [拡大画像: x2577.jpg]
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6. 米俵が満載された荷船。「荷船が運んだ物」と題する説明パネル曰く、「周辺の農村から河岸場に集められた、
米・麦・さつまいも・しょう油などの農産物は、荷船に積んで東京に運ばれました。秩父山地の木材・炭、川口の鋳物も重要な積荷でした。
東京からは、塩・酒・海産物の干物などの食料品や下肥(しもごえ)が主な荷物でした。肥船で運ばれた下肥は、貴重な肥料として農産物
の生産向上に役立ちました。」 |