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    第12章 パラグアイへの赴任、13年ぶりに海外の協力最前線に立つ
    第7節 再びフォローアップ業務に出戻る


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      第12章・目次
      第1節: 大統領府企画庁での職務、その理想と現実の狭間で(その1)/業務を総観する
      第2節: 大統領府企画庁での職務、その理想と現実の狭間で(その2)/業務の選択と集中
      第3節: 辞典づくりの環境を整え、プライベート・ライフも楽しむ
      第4節: 「海なし国パラグアイ」に2つの船舶博物館、辞典づくりを鼓舞する
      第5節: 「海あり近隣諸国ブラジル、アルゼンチン、チリ、ウルグアイ」に海を求めて旅をする
      第6節: 米国東海岸沿いに海洋博物館を訪ね歩く
      第7節: 古巣のフォローアップ業務に出戻る
      第8節: 国連法務官への志はいつしか消え、「オンライン海洋総合辞典」づくりを新たな志とする

    序章~第10章 | 第11章 第13章 | 第13章~最終章



  パラグアイから帰国した後に配属された部署は、「アジア第1部」に所属する「フォローアップ室(チーム)」であった。 そこに2003年4月から翌年の2004年10月(平成15年4月-平成16年10月)まで、1年半ほど在籍した。2000年春にパラグアイに赴任する 直前まで所属していた部署であった。前回におけるいわばフェーズ I としてのフォロー アップ業務期間がどうも短かったためなのか、同じ職務に戻され、リセットされたようだ。確かに前回のフォローアップ業務は 短かったと言える。いずれにせよ、フォローアップ業務に誇りを感じていたので、古巣に出戻ったこと自体は喜ばしいことであった。 それに元来、本部での人事配置についてほとんど頓着しなかった。何故なら、若い時に自身の専門分野の一つである水産協力を担う部署に 配置してもらったり、アルゼンチンの漁業学校プロジェクトへの派遣を許認してもらったりしたので、後は海洋や水産に関連する部署 は実質的に存在しなかったからである。

  パラグアイ赴任前はフォローアップ室は「アジア部」に所属していたが、帰国後は「アジア第一部」に変わっていた。何故フォローアップ 室はそこに所属していたのか。組織改革でアジア部は第一部と第二部に分割され、前者が東南アジア地域を、後者が南西アジア地域 を担当していた。地域部は地域・国を座標軸に据えながら対外技術協力を統轄していた。いわばJICA技術協力の地域・国別の司令塔としての 役割を果たしていた。地域的には、アジア2地域の他に、中南米、中近東・アフリカの4部に別れていた。地域部は、各国ごとの援助案件 の採択について、また予算配分について束ねる上での中心的役割を担っていた。農業・医療保健・教育などの課題・分野別プロジェクトの実施を 担う部署や無償資金協力を担う部署を、案件採択や予算配分について統轄する重要な機能を担っていた訳である。 そして、それらの援助案件に注がれる総予算を束ねる管理課はアジア第一部内に置かれていた。

  日本政府の立場からして対東南アジア地域への技術協力が最優先・最重視され、プロジェクト執行数や協力金額において多くを 占めていた部署がアジア第一部であった。かくして、フォローアップチームは、アジア第一部以外には適当な所属先はなかったといえる。 加えて、最大の協力予算の執行を管理するアジア第一部にとっては、執行状況全体をよく見ながら首尾よく予算管理するには、 フォローアップ業務を傘下に置いておくことが極めて好都合であった。何故ならば、所掌する 予算全体を過不足なくコントロールする上で、フォローアップ業務予算を最も便利な調整弁として使うことができたからである。 フォローアップでは毎年20数億円の予算が充当されていたが、早い話が、フォローアップ業務の性格からして、水道の蛇口をひねるが如く その業務量と予算執行を容易に調整することができた。JICA内部のそんな事情からも、フォローアップチームと業務の存在意義は髙かった。

  さて、フォローアップ業務とは何をするのか、ここで改めて復習しておきたい。技術協力や無償資金協力の一環として、日本政府は開発 途上国へさまざまな施設や機材を供与してきた。それらは途上国の「国づくり、人づくり」のために役立てられる。施設や機材が何年も 使われると、経年劣化によって損傷したり機能低下や故障したり、また暴風雨やハリケーン(台風)、地震などの自然災害によって損壊を 被ったりする。

  原則的に、被援助国は、自国財産となった施設や機材を自助努力によって維持管理し、時に修理を行い機能を回復させ再利用できる ようにすることが期待される。しかし、故障を診断しその箇所を特定することが困難であったり、修理技術が十分でなかったりする。また、 多くは日本製品であるが故に、当該国に代理店が存在せずパーツの入手や修理が困難であったり、また予算不足などのために修理 が困難である場合が多い。フォローアップチームでは、それらの原状復旧や機能回復を図り、再び有効活用されるよう支援する。 機材の不具合を診断し、修理用パーツを特定するための調査チームを派遣し側面支援する。さらに、修理部品を供与したり、 修理チームを送り込んで、機能の再生を図ることも多い。施設についても原状への復旧を目指す。現地のJICA事務所に経費を示達し、 ローカルの建設業者に修理などを請け負ってもらう方法でも対処する。

     例えば、暴風雨が南洋のマーシャル諸島を襲い、無償資金協力で建設された学校の屋根などが破損した。調査団を派遣し、その被害状況を 見極め、また修繕策を検討し、その後修理を施した。同じく南洋の島嶼国パラオは、日本から供与された2基のディーゼル発電機による電力供給に 大きく依存していた。発電機は経年劣化で機能低下だけでなく、突然の故障でブラック・アウトになるリスクもある。重大な事態に陥る 前に1基ずつ順次オーバーホールを施すことになった。フィリピンで発生したピナトゥボ火山大噴火で被災した住民の生活に不可欠の飲料水 を確保する目的で、数台の移動式井戸掘削車両が供与された。しかし、過酷な条件下で長く使用されたので、あちこち不具合が目立ってきた。 またフィリピン航空管制官を養成するマニラ空港内の訓練施設向けに供与された管制官訓練用機器も経年劣化があった。 さらに、無償資金協力として建設された職業訓練学校校舎に雨漏りなどの不具合が生じていた。それらの不具合への対処のために合同調査団 を派遣し、その後修理修復の執行を行った。またパプア・ニューギニアに供与された消防自動車に機能低下が見られ、その不具合を診断し、 機能を再生化させるために必要な措置を講じたりした。

  西アフリカのガンビアに10年ほど前に供与されたフェリーは、ガンビア川河口部において南北間を行き来し、国民生活の維持に極めて重要な 役目を果たしてきた。フェリーでは特にエンジンの老朽化が激しく、突然の運航停止による幹線ルートの遮断が危惧されていた。 フェリーのリハビリに向けた取り組みには多くの困難を伴ったが、辛抱強くその機能回復に努めた。またフィリピンの別のケースでは、 米国がその昔マニラ北部の農業地帯のアンガットに建設したラバー製灌漑ダムは稲作づくりに役立ってきたが、増水時における 大放水の繰り返しと経年劣化により、ダム直下の水のたたき場のコンクリートが損壊した。そのため、ダム本体の決壊につながる事故 もありうるとの危惧が高まっていた。建設は米国だが、日本もダムの維持に関わり下流域での米作に貢献してきた。検討を重ねた後 土木調査チームを現地に派遣し、ついに応急的補修工事に取り組むという決断を下した。別事例だが、タイ航空機が悪天候のため ネパール首都カトマンドゥ空港近隣のヒマラヤ山中に激突し、JICA関係者を含む大勢の乗客が死亡した痛ましい事故が発生した。 事故とは直接の関係はないが、その後無償供与の管制官・航空機無線通信装置を改善するためにフォローアップの努力がなされたりした。 これらはほんの一例であり、毎年150件ほどのフォローアップ要請が世界中から寄せられていた。

  さて、フォローアップ業務の大きな特徴の一つは、全ての開発途上国を対象にし、JICAの全ての援助形態(スキーム)を対象にし、且つ 全てのJICA在外事務所と国内の援助実施部署を対象とすることであった。因みに、過去10年以内に執行された全プロジェクトと そのカウンターパートや来日して技術研修を受けた研修員やその所属機関をも対象としていた。そんな業務はJICA広しと言えども、 他には例をみないものであった。正直、それは実に誇らしい職務であり、また面白味に溢れた業務であった。JICAでの過去の雑多な 業務経験をいろいろと生かしうる業務ともいえた。私的には、JICAやJICSでの無償資金協力業務の経験が多少買われてフォロー アップ業務へと配属されたと思いたかった。だが、本当のところは、パラグアイ赴任前にフォローアップ業務をこなした期間が、 人事部の視点と評価からすれば十分ではなかったことによるものかも知れない。

  二つ目の大きな特徴は、途上国から寄せられるフォローアップ要請に対する対応の迅速性にある。フォローアップ以外の技術協力 の要請案件では、その執行に際して殆どの場合、要請国の実施機関側とJICA側との間でプロジェクトの実施に関する何らかの合意文書 が取り交わされる。そしてその後、両国政府の外交機関の間で口上書が交換され、国際約束が取り交わされることになる。 だがしかし、フォローアップ業務の実施に際しては、そのようなプロセスを踏まないことになっている。

  何故か。フォローアップに先だって実施されたプロジェクトは、既に両国間で交わされた国際合意に基づき、またそれを起点 にして実施されたものである。過去に二国間で何らかの国際約束が取り交わされた事案であるがゆえに、改めて口上書を交わすことは 不要である、とのスタンスである。それ故に、要請事案がチームに寄せられた後の実施の「船脚」は迅速である。 チーム内で対処方針が検討され結論を得た後には、出来る限り迅速に執行に及ぶことができる。 フォローアップは、在外の協力最前線で汗を流す関係者からも、また国内の国別・課題別担当者からも、その有用性について 高く評価されていた。関係者の誰からも歓迎され喜ばれていたたといえる。官僚主義的なプロセスを経ることの多い政府開発援助(OD) の実施舞台にあっては、それこそがフォローアップの第一の醍醐味であった。因みに、もっと大きな醍醐味については後述したい。

  余談だが、第二フェーズでのフォローアップチーム勤務中の1年半ほどの間に、フォローアップ調査のために途上国へ何度も出向いた。 それには訳があった。チームの室長代理がJICA労働組合の委員長職に就任していたために、JICAと労組との取り決めで、組合執行部 三役は、その任期中海外への出張は命令されないことになっていた。それを了承した上で、我がチームに彼を迎え入れた。 その結果、新規に配属された新入職員や特別嘱託などへのオン・ザ・ジョブ・トレーニングに際しては、代理に代わって彼らに同行し、 調査手法などの手本を海外の現場で実践的に示すことが求められた。出張は立て続けとなった。因みに、2003年7月から2004年2月 までの7か月間に6回、1か月に1回のペースで海外出張した。お陰で、私自身も大いに鍛えられ、多くを学ぶことにもつながった。 感謝である。

  休題閑話。第三の、そして最大の特徴といえるフォローアップの新スキームが具現化されてきたことを、パラグアイから帰国後チーム に戻って気付かされた。赴任前にはほとんど注目を浴びていなかったし、また実績もなかったものである。全くの新鮮なニュー・スキーム のように映った。私が知っていた従前のプロトタイプなフォローアップは、先節で述べたとおりである。端的に言えば、過去の プロジェクトの施設や機材の機能回復と延命を少しでもを図り、所期の目標を達成し持続させるというものであった。だが、 フォローアップ業務に革新的なスキームが付加され、大いに「進化」していたことに驚嘆するばかりであった。

  ポジティブな思考の賜物であろう。目からウロコが落ちるほど、革新性に溢れていた。心から拍手を送りたかった。 前任のチーム長と室員らの創意工夫の努力の成果であり、所轄の外務省技術協力課からの賛同とサポートがあってのことであろう。 過去の援助の不具合や機能回復・再生だけでなく、援助の成果を「点から線へ、線から面へ」と普及拡大するためのツールといえた。 それは画期的な発想の転換の成果である。日本にとっても途上国にとっても価値ある制度的「進化」と評価され、JICA協力事業の 活発化と躍進につながるものであった。

  フォローアップ業務は最早、過去の技術協力プロジェクトなどのいわば「過去の負の遺産」と向き合うだけという後ろ向きの仕事 ではなくなていた。即ち、フォローアップの新機能として、過去のプロジェクトの成果を点から線へ、さらに面的に普及・拡大 させるためのツールそのものになっていた。成果をより広く面的に発現させることに重点を移した支援といえた。 在外の協力最前線にいる関係者のいずれも、また国内で研修事業に携わる関係者すらも、その有用性を高く評価するようになっていた。

  例えば、日本国内での研修で学んだノウハウなどを、当該国に帰国後点から線へ、さらに面へと拡大普及する取り組みを フォローアップとして側面支援することであった。成果を積極的に普及拡大させたいという被援助国のあらゆるプロジェクト関係者の 努力と期待に応えられるよう、スキームの質的転換が図られたともいえる。かくして、フォローアップは、プロジェクトの成果を 拡充させるためのツールとして、国内外においてますます活発に活用される勢いであった。 フォローアップへの注目度はウナギ上りであった。スキームの理念が素晴らしく、多くの関係者から支持されているといえた。 フォローアップ事案を統括するチームに新風を吹き込み、チーム全体の士気と誇りを高めることに繋がっていた。

  新スキームは、見方を変えれば、過去の協力プロジェクトを接点にして、当該プロジェクトで得られた成果を将来に向けてさらに 発現・普及させるために、被援助国と日本側の関係者が協同して「新規のプロジェクトの立ち上げと実施」に取り組むことを意味した。 フォローアップ事業はまさに新たなフェーズに突入することになった。国づくり人づくりのための「種まき」がなされ生育してきた 過去のプロジェクトから新しい種を摘み取り、場所をかえて播種することで生産の面的拡大を図るかのように、 フォローアップ・スキームが新たに成果を創出するかのようである。フォローアップ協力の進歩であるだけでなく、大袈裟にいえば、 JICA技術協力の一つの進歩の形でもあった。協力プロジェクトの理想的絵姿を見る思いであった。フォローアップの活用範囲は 飛躍的に広がり、「使い勝手」がますますよくなると期待された。

  幾つかの事例を取り上げたい。ベトナムの古都フエは歴史を刻んだ有名な町である。旧市街地はユネスコの世界文化遺産に登録される。 かつて同地に、街並みの景観を保存しつつ観光にも有効活用することをベトナム関係者と協業して取り組んだJICA専門家がいた。 その後、シニア・ボランティアが後を継いで指導にあたる過程にあった。景観保全の造詣が深いエキスパートを近隣諸国から招聘しつつ、フエの 文化遺産と景観の保全・観光振興に関するシンポジウムを開催し、関係者がさまざまな知恵を持ちより、政策提言をえるために 地域的国際会議を開きたいという。かつての専門家とその指導を受けたベトナム側カウンターパートを基点にしたフォローアップ 事業と位置づけて、パネリストの招聘旅費、会場設営費や資料作成費などが支援された。

  カリブ海の国ジャマイカにおける海外青年協力隊(JOCV)のボランティアとそのカウンターパートへのフォローアップの事例がある。 歴代のJOCV隊員がジャマイカで体操競技の指導に長きに渡り携わってきた。近年には選手の層は厚くなり、ある優秀な選手が何人か育成されて きたという。さらに能力向上を図るには、地域の国際競技大会に参加させ、実力を競わせ、大会競技の経験を積ませることが重要であった。 同大会で優勝できる可能性をもつほどに優秀な成績を収め、ジャマイカの若人の希望の星に育ってきた選手がいるという。ついては、近々 開催される米国での大会で入賞できる可能性のある実力選手をコーチと共に送り出したいという。大会への参加は選手のさらなる育成に繋がる ことが期待される。カウンターパート機関のスポーツ省担当局長からの要請の下、JOCV隊員と同局長・選手らをフォローアップの接点あるいは 基点と位置づけ、渡航費や大会参加費などの資金支援を行った。

  日本でのテーマ別集団技術研修とフォローアップとの好事例がある。日本での母子保健衛生の集団研修コースにおいて日本の独創的 な母子手帳制度を学んだ10か国ほどの研修員が、研修後母国の厚生省や地方保健所などの勤務先に戻り、ノウハウを生かし活躍していた。 保健公務員をこの日本研修に参加させたインドネシアの保健省は、この研修員を接点にするフォローアップとして、首都ジャカルタに 特定地域の地方保健所職員や看護師・助産婦らを招集して、母子手帳のサンプルを配布しながら、その制度につき、セミナーを開催し、 その普及拡大のための実行部隊を育成したいという。そのためのセミナーの開催のための会場借り上げ費、参加者の交通費、テキスト 作成費などにつき支援を求めた。母子手帳サンプル作成経費については、保健省がその半分を負担するという。 これはほんの一例であり、類似する多くのフォローアップ要請案件の申請が寄せられ、積極的に協力した。

  都内の国際研修センターではもっと積極的にフォローアップスキームを活用する事例を見た。集団技術研修が都内でなおも実施途上に ある段階から、研修員に対して、帰国後その学んだノウハウの普及拡大に取り組んでもらえるよう強いインセンティブを与えるために、他方で当該 進行中の研修そのものへのより真剣な参加を促すために、フォローアップスキームを先取りしたいという。日本での研修の最終段階で、 帰国後に取り組みたい「ノウハウ普及プラン」を提案してもらい、同研修センターで審査し秀逸な案件については帰国後フォローアップ プロジェクトとして現地JICA事務所に申請してもらう。事務所はそのプロジェクトを優先的に受け付け、JICA本部にフォローアップ案件 として申請されるという組織的仕組みを作り上げていた。日本で技術研修を受けた者が、帰国後その学んだノウハウなどを所属組織内や 地方組織に普及拡大したいと願う研修員だけでなく、被援助国・日本側双方の研修関係機関関係者にとっては、研修成果の普及拡大のための 強力なツールになっている。

  集団研修コースの各参加国の研修員には、研修が進行する段階から、帰国後に取り組みたい成果普及活動プランを試行錯誤して もらうというものである。コースに参加する全研修員間のコンペティションとも受け止められる。 有望なプランに対しては、帰国後その実現に向けて強力にバックアップすること、あるいはフォローアップ支援を事実上コミット メントすることの意味をもつことになる。かくして、本邦での技術研修とフォローアップとが表裏一体となり、ワンセットになる。 スキームの有機的組み合わせによる相乗効果を生むことにつながる好例でもある。

  過去のプロジェクトとの接点は、研修員がJICAの技術研修に招聘され参加したことである。ある意味では、研修を起点にした 新たなプロジェクトの執行とも言い得る。研修員の募集・受け入れ についてはすでに口上書が交わされているので、そのフォローアップ・プロジェクトの実施にかかる両国間の取り決めはなされない。 少なくとも過去10年以内においてさまざまな個別・集団研修に参加した全ての者が、このフォローアップ事業の受益者になれる資格を もつということである。JOCV隊員を受け入れたカウンターパート機関や彼・彼女の指導を直接長く受けた関係者もその資格をもつことの意味は大きい。 勿論、大規模な技術協力プロジェクトの専門家のカウンターパートなどもフォローアップの対象となる。 数多のプロジェクトにまつわる「正の成果も負の遺産も」フォローアップするという、画期的なスタイルの協力が進行中であった。

  こんな事例もあった。タイにも帰国研修員の同窓会があった。同会は帰国研修員の親睦を深める事、またさまざまな社会貢献を促進 すること、さらに日本とのつながりを維持強化する目的でいろいろな活動をしている。同会はバンコクでのマラソン大会を企画した。 幅広くスポーツを奨励し健康増進を訴えかけることになる他、JICA自身の広報にも大きく寄与する。フォローアップチームは全途上国の 同窓会に対して申請ベースで幅広く支援していたが、今回ゼッケン作成費、JICA優勝杯、その他の開催経費の一部を負担したことがあった。

  ところで、フォローアップ時代から数年後のことであるが、ニカラグアに赴任した折のことであるが、一律的に割り当てられていた フォローアップ予算をもって、ニカラグア同窓会への支援として、 同会主催で環境絵画展を開催することになった。環境保全にまつわる絵画を広く小中高学生から募集し、優秀作品などにJICAから賞を 授与し、もって環境保全の大切さを訴え、その関心を高めるのに一役買うことになった。毎年開催し、同窓会の社会活動を支援することにした。

  フォローアップチームでは、その新規スキームを含むフォローアップ業務全般に関する取扱い説明書と事例集を合わせもつ ガイドブックを作成し、特に在外事務所への赴任予定者に配布しながら、オリエンテーションを隔月に繰り返した。新規の口上書交換は 不要であり、「使い勝手がよく、執行は迅速である」こと、 専門家・JOCV隊員のカウンターパートや帰国研修員などを含めフォローアップ対象は極めて幅広いこと、要請が許認されれば在外事務所へ 必要経費が示達され自ら執行できることなどのメリットをはじめ、過去の協力の成果を「点から線へ、さらに面へ」拡大普及させる ための画期的なツールになることを訴えた。「フォローアップ業務の新発想」を説明するなか、ポジティブツールの活用が フォローアップの主流化となる手応えがしっかりと感じられるようになった。

  理想的には、また理念的には、本来フォローアップは、プロジェクトを実施する各課題別担当部署がプロジェクトの一環として 担当すべきものである。因みに、プロジェクトの実施サイクルとしては、先ず案件の発掘形成段階を経て、実施計画が立案され、 次いで実施に移され、その終了後は評価がなされる。その後、適宜効果や成果の発現状況がモニタリングされる。施設・機材などに 不具合があり、被援助国が自助努力で復旧・回復することが困難な場合には、フォローアップ支援がなされるべきものである。 課題部が同一のサイクル上で一貫して、プロジェクトの形成、実施、評価、さらに必要に応じてフォローアップするのが理想であり、 本来の姿である。要するに、プロジェクトを完結するには、フォローアップも自らの業務の中にしっかり内包すべきものである。 フォローアップチームが全ての要請に対して専属的、集中的に対応することは、いかにも効率的ではあるが、理念的には違うであろう。 プロジェクトの運営としては完結せず、龍頭蛇尾といえる。

  今は過渡期として、フォローアップチームに全てを集約し、一元的に対応するという制度になっている。しかし、援助の質的向上のために プロジェクトの運営を本来の姿に戻し、課題部が一気通貫で援助サイクルを全うすべきである。これまでも、協力プロジェクトの本来の サイクルにすることが筋であり、合理的であると主張してきた。プロジェクトを計画・実行する部署が、終了後に モニタリングしつつフォローアップするのが最も効率的であり、理に適っている。フォローアップはJICAの本来あるべき プロジェクト・サイクルに組み込まれるべきである。それがフォローアップチームの基本的スタンスであった。かくして、何年か後に、 そのように変革されたということを知った。

  最後に、フォローアップと会計検査との関係に触れておきたい。会計検査院もフォローアップには注目していた。何故か。フォローアップ するに至った原因は別にして、施設や機材に何がしかの不具合があるがゆえに、フォローアップを実施している訳である。会計検査院は 常日頃フォローアップ状況に関心を寄せるところがあった。検査の対象案件の在り処として目をつけられやすい。フォローアップの 前年のJICA決算書を詳細に調べれば、過去1年に実施された金額の張るフォローアップ案件を知ることができるからである。

  フォローアップしたことが問題ではなく、何が原因であったか、フォローアップの背後にある問題に関心がある。 また、プロジェクトの不具合問題にどう適切に対処したかに関心が寄せられる。また、フォローアップ後に、当該プロジェクトは所期 の目的や数値目標が達成されてきたのかに関心が注がれる。例えば、無償資金協力の基本設計調査書に記述された当初計画、特に数値 目標がどの程度実現されているかが問われる。 何か問題があるがゆえにフォローアップがなされているとの考えから、検査院にはそこに目が付けられる。会計検査院で指摘され事が 大きくなる前に不具合が解決され上手く会検対応ができるにこしたことはないというのが多くの関係者の本音であろう。

  検査院はフォローアップそのものを問題視するのではなく、何の深刻な問題があり、どう改善復旧されたかに関心があるなかで、 フォローアップは検査上いわば「最後の砦」である。会計検査院からもフォローアップについては一目置かれていた。なぜなら、被援助国が対応できない 無償資金協力施設や機材を修理・機能回復させ、当該プロジェクトの初期目標の達成に向けていわば前向きの対応をしているからである。 ただ、無償資金協力については外務省に最終的な責任があるので、外務省が適切に対応してきたのかに関心が向けられる。また、同施設や機材は 既に被援助国に供与され、同国の国有財産であるので、その適切な維持管理がなされているのかにも関心があるが、当該国に土足のままで 踏み込み物議を醸すことは、外交上なかなかできない。

  会計検査を受ける時は、フォローアップチームとしても大いに緊張することになる。会検は過去10年ほどの間に履行 された、主に無償資金協力プロジェクトについて、一週間ほどかけて受検する。 どのプロジェクトが対象になるのか分からないことが多い。事前にスタディした検査官は、トラブルがマスコミなどで世に知れ渡っていたり、 初期の目標達成がなされていなさそうな案件を取り上げることが多い。検査院の日頃の情報収集と院内調査の結果、基本設計調査で 設定されたプロジェクトの数値目標が満たしていない、故に十分使われていない施設が目につけられ、受検でいろいろ問い詰められる ことになる。そこをしっかり説明し切れないとなれば、改めて文書で詳細な回答が求められる。最悪の場合は、国会への報告書に記載 され納税者に報告されることになる。

  最後に、受検の一例を挙げて見たい。モンゴルにおける無償資金協力施設の使われ方が問題にされ、半日近く検査員に説明すること になった。ポイントは、施設が当初目的通りに使用されていないのでは、という指摘である。「目的外使用されている」という切り口である。 これらのことはすでに国会報告になっているので、秘密でもなんでもない。 ある乳製品生産研究公社が無償供与機材をもって製造した乳製品を、国内市場向けに出荷せず海外へ輸出しているのではという指摘がなされた。 それが事実であれば、目的外使用には違いなかった。しかし、取敢えず輸出できるものをもってロシアに石油輸入代金を支払い、 もって火力発電所に必要な石油なり石炭を獲得し、電気の形で自国国民が家庭で暖房器具を使えるようにし、この数ヶ月の厳冬期を 何とか乗り越えようとしている、と聞き及んでいる。JICAが目的外使用を勧めることは断じてないが、現実としては当座 見守るほかないと説明した。JICAが正面切って輸出をしないでほしいと申し入れることは、無償資金協力の実施促進を担うだけの JICAにとっては権限逸脱である。仮に申し入れるとすれば、モンゴルの一般市民に「凍死」を求めるのと同じである。極論であると思いつつも 、検査員につい口が滑ってこの説明となってしまった。検査員は特に反論することなく受検はそこで終了した。会検対応は緊張感に 溢れて大変だが、フォローアップの醍醐味の一つではあった。

  さて、フォローアップチームに所属した第二フェーズにあっては、わずか1年半年でお役御免になってしまった。再び海外赴任 第一フェーズ期間を合わせればよくある平均的在職年数となった。その後は、2004年11月から2007年6月まで(平成16年11月-平成 19年6月27日まで)2年7か月、再び海外の協力最前線へ赴任することになった。そのニュースは何と電子メールでやってきた。 さらに、海外赴任に慣れるJICAマンでさえ、それを聞かされれば驚きで後ずさりするような国であった。そして、JICAへの人事上の 借りを返せていないことを思い知った。

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      第7節: 古巣のフォローアップ業務に舞い戻る
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