Page Top


    第15章 ニカラグア運河候補ルートの踏査と奇跡の生還
    第5節 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など


    Top page | 総目次(Contents) | ご覧のページ


     第15章・目次
      第1節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その1)/コロンブス、コルドバなど
      第2節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その2)/海賊モーガン、英国海軍提督ネルソンなど
      第3節: 「ニカラグア運河の夢」の系譜をたどる
      第4節: 運河候補ルートの踏査(その1)/ブリット川河口など
      第5節: 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など
      第6節: 運河候補ルートの踏査(その3)/サン・ファン川と河口湿原
      第7節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還 (その1)
      第8節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その2)
      第9節: コンセッション協定が締結されるも、「ニカラグア運河の夢」再び遠ざかる



  乾期の終わり頃に当たる5月(2009年)になって河川踏査に出掛けた。その踏査エリアとは、エスコンディード川の流路周辺、それが注ぎ出るブルーフィールズ湾 (大西洋側。湾は事実上ラグーンまたは潟湖である)、そして最有望候補ルートとされる「ルートNo.3」の大西洋側の起点となるククラ川の 河口とその下流域である。エスコンディード川は、エル・ラマという町で、その河川本流の名称がシキア川へと変わり、内陸山系奥深くへ そのまま真っ直ぐ辿り行く。そして、シキア川の少し上流でミコ川という支流が合流する。さらに、エル・ラマの町で、エル・ラマ川という支流が エスコンディード川に直角に合流している。

  さて、エスコンディード川は、エスコンディード湾の北端に注ぎ込み、狭隘の湾口を経て大西洋に至る。その河口にあるのが「南大西洋自治地域」 の行政府が所在するブルーフィールズという港湾・漁業の町である。ククラ川は同湾の南端に注ぎ込み、同じく狭隘なもう一つの湾口を経て大西洋 へ至る。エスコンディード湾の沖合にはベナード島という南北約20㎞長の細長い島が同湾を塞いでいる。島の南北端にあるそれら2つの狭隘な 水道をもって外洋に通じている。

  エスコンディード川は運河候補ルートNo.1~3のうちの2のルートに直に関わる。一つはエスコンディード川を遡上し、エル・ラマから シキア川へと名前を変えた河川を少し遡り、その支流であるミコ川をなぞりながら遡上した後、エル・ラマ川の中流部に取り付くという「ルートNo.1」 である。

  他は、エスコンディード川を同湾から少し遡上したところにある、「マホガニー・クリーク」という支流へと進んだ後、それから大きくそれて 平坦地を横切り、エル・ラマ川の中流部に取り付くという「ルートNo.2」である。これら2つのルートは共に、エル・ラマ川の中流域に取り付いた後、 その源流へと向かう。そして、ニカラグア湖に注ぎ込むオヤテ川の源流との間に横たわる標高150~200m、長さ20kmほどにわたる分水嶺を経た後、 オヤテ川をなぞるようにしてニカラグア湖へ至る。

  既述の運河計画概要書で最有望ルートとして推奨されるのがルートNo.3である。ブルーフィールズ湾の南端付近に河口をもつ ククラ川を遡り、流路から大きくそれて平坦地を横切り、エル・ラマ川の中流域に取り付く。そして、ルートNo.1・2の場合と同様に、オヤテ川との分水嶺を 経てニカラグア湖に至るのが、このルートNo.3である。 No.1、2、3のルートが、エル・ラマ川とオヤテ川の分水嶺を共通して越えるのは、その分水嶺が他のいずれよりも距離的に短く越えやすいことの 証左であると言える。

  ブルーフィールズは大西洋岸の都市の中でも最大の町・港湾都市であるが、エスコンディード川の80kmほど上流にあるエル・ラマはそれに次ぐ 重要商業港(内陸河川港)のある町である。ブルーフィールズは、その内陸都市エル・ラマのみならず、人口密度の高い太平洋側の諸都市に通じる まともな舗装道路を全くもたないという、大きな弱点をもつ。ところが、エスコンディード川の川幅は100~150mほどあり、積載重量数千トン級のフェリ ーや貨物船が遡航可能である。この河川航路こそが、ブルーフィールズとエル・ラマ間には 未舗装の全くの悪路しかないという陸路を補っている。他方、エル・ラマからは首都マナグアをはじめ太平洋側諸都市へ舗装道路が通じている。 エル・ラマはブルーフィールズからの河川輸送の終着港であり、その河川輸送は陸海をブリッジする重要なモーダルシフト輸送を 担っている。

  今回の踏査では、数名の協力隊員と共に、事前に借り上げておいた平底舟の全長7~8mの細長いランチャで、エスコンディード川を下り ブルーフィールズへ向かった。予備的調査と位置づけた今回の踏査の第一の目的は、同河川の様相観察を含め、運河候補ルートとしてどのようなものかを よく観ることであった。時速2~30kmほどで快走し、3時間ほどでブルーフィールズに到着した。川幅は少しずつ広がりを見せ、最下流域では幅200mは ありそうである。両岸には途切れることなくずっと亜熱帯樹林が鬱蒼と茂る。地図に寄れば、最下流域ではジャングルの中にラグーンや湿原、 大小の水路が複雑に入り組んでいる。ブルーフィールズに到着後、休息を兼ねて上陸し、町をそぞろ歩きした。初めての散策故に、治安に留意しな がら中心街の目抜き通りに足を踏み入れ、好奇心旺盛な目を隠すことなくそぞろ歩きをした。途中、「ツーリズム・ポリース」という 女性観光警察官に遭遇し、雑多の参考情報を得た。

  その後、ランチャにてブルーフィールズ湾をストレートに南航し、20kmほど南にある「ラマ・キー」と呼ばれる小島(キーとは英語の「cay」で、平たい島という意味) へ向かった。同湾は普通の湾ではなく、汽水性ラグーンのような様相を呈している。湾から海への開口部は、湾の南北2か所にあり、一つの狭水道(北側)には エスコンディード川が、もう一つ(南側)にはククラ川が注ぎ出る。同湾は南北15㎞長のベナード島によって湾口が塞がれた、いわば半閉鎖海であり、 ラグーンともいえるので、湾内は極めて静穏であった。

  途中、海軍の沿岸警備艇が猛スピードでランチャに接近してきて停戦させられた。 接舷の上で、身分証明書の提示が求められた。身元照会がなされたのか、暫く時間を要した。ニカラグアや ホンジュラスの大西洋沿岸域はコロンビアなどからの麻薬密輸ルートに当たっているとのことで、警備艇などが厳しく取り締まっているのである。

  ラマ・キーには、先住民族のミスキート族が居住している。同島に上陸し、島民の生活環境(人口、飲料水など)や、教育事情・社会習慣などを 村長をはじめ村民から説明を受けた。小学校の分校のさらに附属校のような小さな校舎があり、教育省から先生が派遣されている。島民が亡くなると、 島の土地が狭いため、島の対面にあるククラ川河口辺りの墓地に埋葬するという。さてその後、今回の最大の目的地であるククラ川河口へと向かった。 地図で見ると、河口域一帯には湿地や原生林が広がる。河口の川幅は100mほどはある。だが、4kmほど遡航するとわずか幅10m足らずにまで 狭まって行った。

  川の両岸には鬱蒼とした密林が迫っており、川面からでは両岸の背後にある地形を全く見通すことはできなかった。岸から数km離れたところに標高100 ~200mの山があっても、目の前の密林に遮られて全く視界に入ってこない。ククラ川を4~5kmほど遡上し、川幅もかなり狭くなり小川程度になった頃、 急に密林が開け、丘陵地のようなところに達した。丘陵の高みには数軒の民家があり、上陸し見学した。周囲は放牧地のようであった。 住民に出会うことはなかった。無造作にカヌーが置かれ、日頃からカヌーを足にしているようであった。驚いたことに、こんな辺境地にも外国の援助 の手が伸びていた。大きな立て看板がそれを示唆していた。

  最有望候補ルートと推挙されるNo.3のコースは、ククラ川の数10km上流辺りで川筋から大きくそれて、平坦部を通ってエル・ラマ川中流部に取り付く ことになる。地図で見る限り、ルートNo.3がその中流部に取り付く辺りまでずっと平坦地が続いている。そこには標高4~50mの孤立した丘のような 盛り上がりが散在する程度で、標高数百メートルの山らしい山は存在していない。ククラ川を遡航する途上で、周囲5~6㎞ほど見渡せるような 丘や山を見つけ、地形などを目視したかった。だが、何のランドマーク的な地形にも出会わないまま、川幅はますます狭くなり、両岸から樹木の枝が覆いか ぶさる状態となり、またランチャのUターンも難しくなってきたので、その上陸地点から暫く遡ったところで引き返した。

  再びブルーフィールズ湾を縦断し、ブルーフィールズに再び立ち寄り、ランチャのオーナーに接触した。そして、雨期の時期を待ってエル・ラマ川の 遡航にチャレンジするために必要となるランチャの借り上げについて予備交渉をした。その後、エスコンディード川を40kmほど遡上したところで、「マホガニー・ クリーク」と呼ばれる川の入り口を探し求めた。川岸風景はどこも同じで、樹林が鬱蒼と生い茂り見落とすところであった。

  クリークを数kmほど遡上すると、川幅は入り口の4~50mから狭まり、ついに7~8m以下となった。樹林の枝などがランチャの行く手を阻害するので、止む無く引き返すことにした。 候補ルートNo.2は、マホガニー・クリークの河口から湿地・樹林帯を大きく横切り、エル・ラマ川中流部に取り付き、オヤテ川を経てニカラグア湖へ至る。 地図では湿原地帯を抜けても平坦地ばかりで、標高5~60mの丘のような高まりが散在する程度である。ククラ川にせよ、クリークにせよ、遡上したのは わずかな距離であったが、運河コースとなりうる土地の様相に直接触れ、土地勘とイメージを養うことができた。それは、今後運河をいろいろと考察 する上で大きな助けとなろう。

  さて、ルートNo.1~No.3の踏査のうちで最大の目途と言えるエル・ラマ川の遡航について、出来る限り上流へ遡りたかったが、今の5月の乾期には水量が減り 浅瀬を遡航するのが困難となるので、やはり川が増水する雨期を待たねばならなかった。ルートNo.1、2、3は共に、エル・ラマ川の中流部に 取り付くことになり、その後は3ルートとも、エル・ラマ川の共通の川筋をなぞって源流へと向かう。そして、共通の分水嶺を経て、その反対側にある オヤテ川源流に取り付き、そのままニカラグア湖へと至る。

  雨期の踏査を念頭に、今回ブルーフィールズでランチャのオーナーに遡航の意図を 直接よく説明し理解を得ておきたかったことがあった。エル・ラマ川を出来る限り奥地へ遡航するには、上流域の河川事情に明るい船頭の手当てが 不可欠であった。時期は後日確定するとして、くれぐれもベストな船頭を見つけてくれるよう依頼した。後は携帯電話で連絡を取り合うことにした。

  数か月後の8月(2009年)になって、いよいよ雨期真っ盛りとなり、遡航の時期がやって来た。2回目も4名の隊員が同行してくれた。遡航に先だって、 エル・ラマ川の最上流域の踏査に向かった。実は、エル・ラマ川の源流域の地形や様相を身近に観察できるところを地図上で見つけた。 エル・ラマ川の最上流部近くを国道71号線が通っていて、そこに40m長の橋が架かっている。そこを目指した。そこはエル・ラマ川の源流まで15kmほどの 地点であった。

  国道は「コルディジェーラ・チョンタレーニャ」という山地南端にある稜線などを縫うようにして走っているので、そこに行き着くまでの道すがらにおいても、 またその橋上からでも、エル・ラマ川が大西洋方向へ山間部や平坦部を流れ下って行く様相を粗方眺望できることを期待した。その眺望は期待通りであった。 全て樹林で覆われた、標高100mほどの丘陵のような山並みが、眼下一面に見下ろせた。山並みは、遥か遠方の霞んで余り見通せない原生林の低い平坦部 に向けて続いていた。標高5~600mほどの山々が所々に孤立して点在していた。だが、エル・ラマ川の谷筋や川筋は、下方山並みの中に完全に 埋もれてしまい、ほとんど見通すことはできなかった。

  橋下での川幅は4~50mで、橋のすぐ下流側の地形を観ると、岩のごつごつした段差の激しい谷筋に沿って、 急流となって落水していた。ランチャでエル・ラマ川を遡航しても到底この橋下付近まで昇って来れないが、 せめてルートNo.1~3が共通して取り付くことになるエル・ラマ川中流部辺りまでは遡上できることを期待した。

  さて、その後、橋の少し先からエル・ラマ川に沿って源流方向へと足を進めた。途中「コロニア・リオ・ラマ」という集落がある。そこから更に 同河川をなぞって奥地へと、道が導くままに進んだ。すると、本流川筋からはずれることになるが、その分流を辿りながら、分水嶺の方角を 目指して奥地に行けるところまで 分け入った。分流がどんどん枝分かれし、小川のようになるまで遡った。遠目には髙い山が立ち塞がり、足下では草木が生い茂ってどこが道なの かも分からなくなって行った。エル・ラマ川とオヤテ川の分水嶺をしっかりと見極めることはできないまま、引き返さざるを得なくなった。 だが、標高150~200mほどの分水嶺付近まで辿り着いたことだけは間違いなく、その地形状況や自然環境などを部分的にしろ目視することができた。

  いずれ機会を捉えて、その分水嶺の向こう側にあるオヤテ川の源流を目指して、ニカラグア湖側から遡上してみたいと考えた。何故ならば、 最有望候補ルートNo.3を開削する場合には、運河ルート上最も標高の髙い150~200mほどの山地、それも20数km長の山地を切り開くことになり、 難所中の難所である。全く別の運河閘門システムを採用するならばともかくとして、標高150m以上で数10km長の分水嶺を開削し、かつエル・ラマ川の 中流部かどこかに閘門を建設し、もってニカラグア湖水をその閘門まで通水させることができなければ、船舶は同湖とカリブ海との間にある 高低差32mを昇降し通航することはできない。

  さて、エル・ラマの町に向かった。エスコンディード川の延長線上にある大河のシキア川の支流であるミコ川が、国道7号線と40kmほどにわたり並行して 流れている。そして、国道上のある特定地点から遠目ながら、谷筋に沿う川の流れをよく見下ろすことができ、じっくりと観察した。両岸には標高数100m の山地が連なる。ミコ川をなぞるルートNo.1は、エル・ラマを経て40㎞ほど上流にある「ムエジェ・デ・ロス・ブエジェス」(「牧牛の桟橋」というくらいの 意味)という町から南方内陸域へとそれてエル・ラマ川中流部へと向かうことになる。

  エル・ラマで投宿し、翌朝船頭と船着き場で落ち合った。船着き場の前には東西に大河が流れる。東側が下流側にあるエスコンディード川、 西側はその上流側にあってその名をシキア川へと変える大河である。正面ではエル・ラマ川がT字形にエスコンディード川に注ぎ込んでいる。さて、全員ライフジャケットを装着のうえ出港した。 両岸にはどこまでも亜熱帯樹林が鬱蒼と茂る。ランチャからは遡航中ずっと何一つ丘陵や山は目視できなかった。20㎞ほど遡航したところで、「ラス・イグアナス」 という集落の船着き場にランチャを寄せた。集落に上陸し村内を社会見学した。

  そこで得たある情報に驚いた。ごく最近のこと、大雨が続いてエル・ラマ川が増水したが、それが半端でなかったという。同集落の河岸では、 7~8mも水嵩が上昇したという。探訪時は河川水位は普通の状態に戻っていたが、河岸から法面を見上げてみると、そこには当時の増水の水位を示す爪痕がはっきりと遺されていた。 見上げる高さに仰天であった。もう数メートル水嵩が増していたならば集落は浸水していたかもしれない。さて、地図上での位置を同定しながら、さらにどんどん遡った。川幅はまだ3~40mはありそうであった。

  遡航して気付くことがもう一つあった。川岸の斜面を観察すると、増水時の流れなどによって削り取られたり、降雨で自然に地すべりしたので あろうか。法面の被覆土があちこちで崩れ落ちていた。亜熱帯密林の堆積土は崩れやすく、また増水すると大量の土砂が河川に流れ込み溶け込む。 ニカラグアでの雨期での河川増水は半端ではない。原生林が幅200mに渡り開削されたり、また船舶コースを滑らかにするため河岸が削り取られたり、 しかも水深20m以上も浚渫され人工水路が造られ、かつ大型船舶が頻繁に航行するとなると、髙脆弱性の川岸はさらに大きなダメージを受けたり、あるいは流れが 緩慢になり水底への土砂の堆積作用が加速する可能性がある。

  5月~10月の雨期には降雨の日々が続くが、樹木は緑豊かに生い茂る。11月~4月の乾期には少雨で乾燥した気候のため草木が落葉したりする。 雨期になればこのエル・ラマ川などの水嵩はどう激しく変化するのか、両岸法面の土壌状態や浸食具合はどうか、河川両岸を削り取った場合の 河岸法面の土壌の崩落具合はどうか、25万積載重量トン級の船舶通航による河岸浸食への影響はどうか、乾期における渇水は閘門オペレーション にどんな負の影響をもたらすか、乾期での降水量の大幅減と雨期での水嵩の大幅増における水路の水嵩や水位の調整の在り方など、いろいろ自問 しながら、ランチャの舷越しに視野に入る自然風景を脳裏に焼き付けるかのように見続けた。

  遡上を続け、ようやくルートNo.2~3がエル・ラマ川に取り付くと推定されるエリアへと近づいた。エル・ラマでは川幅が100mほどあったが、 奥地に進むと川幅が3~40mへと徐々に狭くなり、また両岸にはところどころに小高い山が点在したり、また丘陵のように少し盛り上がった山の連なりが 観られるようになった。更に12㎞ほど遡ったところで、川幅が急に広くなり、さざ波が全面に立っているところに行き着いた。底が浅くなっている ためで、急流や早瀬の箇所であった。地図上にも早瀬地点が数kmおきくらいに明確に図示されている。

  船頭はランチャをホバーリングさせながら、少しでも深みのある川筋を見極めた後、エンジンを全開にしてそれを上り切った。 幾つかの急流については難なくやり過ごしたが、さらに遡上すると 早瀬の規模が大きくなり出した。川面が白波を立てて激しく小刻みに上下している。無理して遡航し潜岩などに乗り上げて転覆したり、船底が岩で損壊し て浸水したり、スクリューにダメージを受けて航行不能になったりすると、 こんな辺境地では救助も求められない。安全を最優先に、決断を早目に行なった。遡航を諦め、折り返すことにした。

  地図上からすれば、折り返した地点辺りが、候補ルートNo.2~3が、下流域の湿地帯や平坦地を通過して、エル・ラマ川に 取り付く地点にかなり近いと推察された。因みに、この辺りにおいて、エル・ラマ川を堰堤で堰き止め、3段式閘室の閘門システムを建設することができるかどうかである。エル・ラマから遡行してみて、基本的には平坦な原野が続いていたが、ところどころ小高い山が 単発的に、あるいは丘のような盛り上がりの連なりが散在する地形を観てきた。

  果たして、エル・ラマ川周辺の起伏や高低差などを地図で読む結果として、堰堤や閘門を建設しできるのか。また、閘門の上流側に人工湖を 造成できるのか。物理的に建設できても、人工湖に水を持続的に貯留できるのか。ニカラグア湖と大西洋との間にいかなる閘門システム を建設することができるのか、それが最大の関心事であった。 結論としては、この辺りでは困難と推察される。折り返した地点よりも下流域では閘門の建設によって人工湖を造成することはできないのではないかと、 今回踏査してみて推理した。たとえ堰堤や閘門を建設しても、運河水路の水は、その周辺上流域においてとどめなく溢れ出て、人工湖にはならないの ではないかと推測される。

  同概略書によれば、ルートNo.3として、ククラ川を少し上流になぞった地点で第一の3段式閘門を建設し、船を30数m昇降させ、さらにもう少し 上流地点において同様の第二の閘門をもってプラス30数m昇降させ、その内陸側に人工湖を造成するという図案が示されている。人工湖の水面は海抜60m近くとなる。他方、オヤテ川を なぞりその少し上流地点で第三の3段式閘門を建設するとともに、オヤテ川~エル・ラマ川の両源流間にある数10km長、標高100~200mほどの分水嶺を 開削した水路を経て、上記の人工湖に繋げるという案である。確かにニカラグア国土地理院(INETER)が2003年に発行した全国図(縮尺525,000分の1)では、 踏査で折り返した地点よりも20㎞ほど上流のエル・ラマ川中流域には、山地に囲まれた窪地地形をみることができる。窪地に入る直前の谷筋において堰堤・ダムを築けば、長さ40㎞、幅5~10km、湖水面標高60mほどになる人工湖を 造成できる可能性が示されている。だがしかし、総合的にみて、その可能性と合理性はどうなのだろうか。エル・ラマ川最上流部近くの国道71号線やそこに 架かる橋からは、そのような窪地地形をはっきりとは視認できなかった。

  大西洋側の区間(ニカラグア湖と大西洋間)において3つの3段式閘門を建設することになる既述案に合理性がないとなれば、 残される方法は一つしかないことになる。即ち、リーバス地峡の場合と同じように、閘門で船舶を昇降させるために、 閘門までニカラグア湖から直接的に湖水を延々と水路に引き込み、ニカラグア湖自身の水資源を直接的に利用する他ないことになる。 パナマ運河においてガトゥン湖などの人工湖が果たす重要性から分かるように、水資源の十分な確保は運河の安定的なオペレーションの生命線である。

  かくして、エスコンディード川、エル・ラマ川、ククラ川について、ランチャで一般的装備をもって安全に分け入ることができる最奥の地 まで踏査することができた。今後は地図をさらに読み解きながら、候補ルートNo.3を中心に深掘りして行きたい。他方、候補ルートNo.4~6の うちの最も基幹河川の一つであるサン・ファン川の踏査体験について触れることにしたい。

このページのトップに戻る /Back to the Pagetop.



    第15章 ニカラグア運河候補ルートの踏査と奇跡の生還
    第5節: 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など


    Top page | 総目次(Contents) | ご覧のページ


     第15章・目次
      第1節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その1)/コロンブス、コルドバなど
      第2節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その2)/海賊モーガン、英国海軍提督ネルソンなど
      第3節: 「ニカラグア運河の夢」の系譜をたどる
      第4節: 運河候補ルートの踏査(その1)/ブリット川河口など
      第5節: 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など
      第6節: 運河候補ルートの踏査(その3)/サン・ファン川と河口湿原
      第7節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還 (その1)
      第8節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その2)
      第9節: コンセッション協定が締結されるも、「ニカラグア運河の夢」再び遠ざかる