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    第20章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する
    第3-1節 韓国の海洋文化施設を訪ねて(その1)/釜山、蔚山、木浦


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     第20章・目次
      第1節 「自由の翼」をまとい海外を旅する、世界は広い(総覧)
      第2節 オーストラリアに次いで、東南アジア(タイ・マレーシア・シンガポール)の海洋歴史文化施設を訪ね歩く
      第3-1節 韓国の海洋博物館や海洋歴史文化施設を訪ねて(その1) /釜山、蔚山
      第3-2節 韓国の海洋博物館や海洋歴史文化施設を訪ねて(その2) /統営、閑山島、潮汐発電所など
      第4節 英国南部の港町(ポーツマス、プリモス、ブリストルなど)を歩く/2013.5、挙式
      第5節 アルゼンチン・ビーグル海峡とマゼラン海峡を駆け、パタゴニアを縦断する/2014.3
      [参考] ビーグル海峡、マゼラン海峡、パタゴニア縦断の旅程]


    序章~第18章 | 第19章  第21章 | 第22章~最終章


  アジアの最東端にある日本を「海のシルクロード」の起点としたとすれば、その主要幹線ルート上にある日本に最も身近な国と言えば 韓国である。海外への業務出張や赴任の絡みで、機会を捉えては、中南米、中近東、欧州など多くの諸国の海洋博物館などに立ち寄る ことが多かったが、よくよく気付くと日本から最も至近距離にある韓国を一度も訪ねたことがなく、その海洋の歴史文化に触れたことがない。 そこでオーストラリアや東南アジアへ旅した後は、先ず韓国への放浪の旅を思い付いた。特に、韓国南西部の木浦にある本格的な 海洋博物館なるものを是非一度訪れてみたかった。その第一回目の訪問は、JICAから完全離職してから半年後の2011年9月であった。 初めて訪れる国への旅はいつもわくわくするもので、意気揚々と釜山経由で訪れた。そして、その後2度も韓国を訪れることになった。 「海のシルクロード」のことに興味をもち始めた頃でもあった。「海のシルクロード」と言えば、何世紀にも渡りその韓国を経由して多くの 先進的な文化科学技術が朝鮮半島を経て中国から伝播してきた。

  その最初の旅に触れる前に、当時の体調のことに少し触れたい。ニカラグアで大病し奇跡の生還を果たしたのが2009年8月末のことで、 帰国後は常勤嘱託としてJICA国際協力人材部健康管理センターというところで勤務を始めたが、2011年3月には完全離職し、その半年 後に韓国に旅だった。ニカラグアから帰国後の主治医は「国立国際医療センター」のドクターであった。そのドクターは 人事部職員課時代にお世話になったJICA産業医(女医)の旦那さんであった。そして、その主治医の同僚であった同医療センターの内分泌科の ドクターにも随分お世話になった。復帰後の職場となったのは、大病以前から内定していた通り、健康管理センターであった。 そこには、その産業医の女医さんの他かつての職員課時代の仕事仲間もいて、再び一緒に楽しく業務に励むことができた。

  健康管理センターでの最初の1年ほどは、心配の種や精神的負担があるとやはり心臓に重しがのせられたように圧迫感に悩ま されるのが自分でも自覚できた。JR市ヶ谷駅からの日テレ通りの坂道では、のろのろとした足取りで上った。途中で息切れがして一休 みが必要であった。体力もなく無理はできなかった。時に不整脈も出た。2カ月に一度は同医療センターに出向き、血液検査などを受け、投薬の処方箋を もらう必要もあった。だがしかし、2年目には体力・気力が増し、例の急坂も普通に一気に登り切ることができるようになった。 自身でもそのような回復をはっきりと自覚できるまでになった。かくして1年ほど要して普段の状態に戻ることができた。 100メートルをランニングするようなことは到底望むべくもなかったが、海外放浪の旅・貧乏旅行に出掛けられるようにはなった。 とはいえ、数年ぶりの海外であり、健康に配慮して医療事情のよい近場の国にした。先にオーストラリア、東南アジアへの旅も、 体調を崩すことなく一週間ほど旅することができたことから、さらに自信をもてるようになっていた。韓国はもっと近場であるし、医療事情も悪くない ので安心して出かけることができた。

  初めて韓国に出掛けたのは2011年9月のことであった。最も訪れたかったところは、半島最南西端にある港町 木浦にある「海洋文化財研究所」附属の海洋歴史文化施設「国立海洋博物館」であった。同館では新安沈船から発掘された遺物を 研究展示していた。一度は訪ねて見たかった。日本にはそのような沈船考古学に関する博物館はなかった。地球の歩き方やネットで 「新安沖沈船」をサーチした他、釜山も調べてみていろいろと興味が湧いてきた。釜山は韓国第二の大都市・港町であり、海洋歴史文化科学施設が ありそうで、気の向くままに港町をいろいろ散策したかった。海洋関連施設としては、例えば韓国国立海洋大学の付属海洋博物館の他、 「海洋自然史博物館」、近代的な水族館などであった。さらに釜山から北へさほど遠くない港町の蔚山(ウルサン)には「鯨博物館」 があることを知った。俄然興味が湧いた。

  先ず格安フライトで釜山へ。初めての韓国であり、全く土地勘もないので、釜山駅前にある日本資本系列のビジネスホテル に投宿した。地下鉄1号線で釜山駅から次の駅「中央洞」で下車し、地下構内を歩いていると、偶然にも 海洋博物館を影島臨海部で建設中であるとの電光式広告パネルを偶然に見かけた。それは今回訪ねようとしていた国立海洋大学から そう遠くはなかった。

  博物館広告パネルのことは後に譲るとして、地下構内から地上に出てぶらぶらと埠頭を歩いていると、国際旅客ターミナルに出くわした。 釜山と博多とを結ぶ「関釜(かんぷ)フェリー」の「はまゆう号」が停泊し、出航準備中であった。その発着ターミナルに社会見学の つもりで少しだけ足を踏み入れてみた。岸壁に沿ってさらにそぞろ歩くと、今度は済州島などへ渡る国内沿岸航路船が発着する 沿岸旅客ターミナルに行き着いた。ターミナルのすぐ対面には、「釜山大橋」をはさんで影島が浮かんでいた。

  「釜山大橋」を渡る直前の路線バス停留所で路線バスを捉まえることにした。そして、附属海洋博物館をもつ国立韓国海洋大学 へと向かった。大学は影島の目と鼻の先に浮かぶアチ島(Archseom Island)に立地し、島全体が同海洋大学のキャンパスであった。 附属博物館はキャンパスの一角にあり、建物自体はさほど大きくはないが、日本の東京海洋大学などと同じように、いろいろな船舶 の模型、船体構造を示す各種模型、航海や機関関連の模型教材や実物などを展示する。興味を引いたのは亀甲船のかなり大き目の 模型であり、それを初めて目にしたことである。豊臣秀吉は1592年に最初の朝鮮出兵(文禄の役)を起こした。その後、秀吉水軍は朝鮮半島 南部の各地の海域で海戦し、李舜臣将軍が率いる亀甲船を含む韓国軍船と激しい海上戦をも繰り広げ、敗北したりもした。

  さて、地下鉄1号線の「中央洞」の地下構内で、偶然にも本格的な近代的総合海洋博物館を影島臨海部で建設中であるとの電光式広告 パネルを偶然に見かけたという話しに少し戻ると、それは国土交通海洋部(the Ministry of Land, Transport and Marine Affairs) による政府広報であった。私は、是非とも見学のため釜山に戻ってきたいと心にピン止めした。 大々的にアピールしていた広告パネルには、2012年5月開館予定と記されていた。私的には正しく心をときめかせるグッド・インフォーメーションに であった。同館への見学はこの時からビッグな楽しみになった。

  影島・東三洞の「革新都市」で進められているその海洋博物館の建設総額は約888億円と言われる。全羅南道の麗水(よすい)市で 開催される、「生きている海と沿岸」をテーマとする「国際博覧会」の開幕と同時に、同館もオープンすることが予定されていた。 従来の船舶博物館、海洋自然史博物館、海洋生物博物館(海洋アクアリウム、水族館)、海洋図書館などを統合した、総合的な ミュージアムが構想されていた。海洋の歴史・文化・科学・産業、航海・船舶、海洋を舞台に活躍した歴史上の人物、海の生物などへの理解を 深める展示施設、その他海洋を体験できる空間などが設備されるという。 海洋大学から路線バスで市街地に戻る途中高台で下車し、まだ遠目ではあったが、眼下の臨海部埋立地に建設中の同館を遠望した。 メインの館が7~8割完成しつつあった。

  「革新都市」には国立海洋博物館が建設される他、「韓国海洋研究院」「韓国海洋水産開発院」「国立海洋調査院」など、海洋文化、 教育・研究・行政関連の13機関が集積する構想でもあるという。影島の対面に浮かぶアチ島には韓国国立海洋大学も あり、革新都市はまさに韓国の海洋分野における研究・教育・文化の一大クラスターを目指しているという。海洋のもつ 価値についての認識を深めると同時に、海を切り拓いて「海洋強国」を目指そうという韓国、その国家的戦略と民族的な情熱が その構想には秘められており、私にもひしひしと伝わってきた。

  再び話は戻るが、路線バスが「釜山大橋」を渡り暫く走行した時のこと、海岸沿いに幾つもの巨大な造船用ドライドックが何本も海に 向かって櫛のように連なっていた。各ドックには空に突き刺す大型クレーンが林立する。現代重工業か大宇造船海洋の造船ヤード なのか分からないが、スーパーシップが何隻も入渠し建造途上であった。そのヤードの広さに驚いた。造船作業は活気に満ち溢れ バスの車内まで熱気が伝わってくるほどであった。韓国の造船業の勢いを感じた。1980年頃までは日本の造船シェアは世界トップクラス であったが、人件費などの髙コスト体質が建造費を 圧迫し続けるなどの要因で、日本は建造競争力をどんどん低下させ、苦境がずっと続いてきた。最早誰の目にも 韓国・中国が世界の造船界を圧倒的にリードしているのは明らかである。はからずも釜山でそのことを目のあたりにしてしまった。

  ところで、造船シェア争いでも日本の業界は苦戦を続けてきたが、最近のコンテナ貨物取扱量についても完全に中国、韓国に押され続けてきた といえる。2010年におけるコンテナ貨物取扱量の世界ランキングによれば、日本のそれは低迷し他国の後じんを配している。 世界第1位は上海で、次いでシンガポール、香港、深圳へと続き、第5位が釜山であった。東京は第27位、横浜第36位であった。 1980年には第4位であった神戸はさらに低位に甘んじていた。

  上海についていえば、長江河口に面する既存の上海港に加えて、沖合約30kmに浮かぶ複数の島を埋め立て大深水港を建設してきた。 陸地と港との間に「東海大橋」(全長32㎞)が架かる。この深水港でのコンテナ取扱量は、東京、横浜、神戸の総計973万個を上回る 1,010万個を取り扱った。既存港と合わせた上海港全体では2,907万個で、上海だけで日本全体のコンテナ取扱量を上回った。

  釜山港での取扱量についていえば、1,416万個であった。東京(420万個)、横浜(328万個)、神戸(225万個)のそれらを合わせた量 より上回っていた。1990年代に21世紀に向けたコンテナ埠頭建設などの港湾整備・海上輸送発展戦略を推進してきた結果である。日本では、 1990年代初期にバブル経済がはじけて以来、「失われた20年」の間、適切な変革をなしえて来なかった結果でもある。

     日本経済新聞(2011年12月5日付け)が、「日本の港湾巻き返し、貨物の海外流出阻止へ、神戸港初の24時間化」と題して、 日本のこれらの主要港湾のハブ港としての国際競争力、あるいは長さ40フィート (約12m) コンテナ1個当たりの港湾施設利用諸 料金、あるいは海上輸送コスト面での国際競争力について、その現在と未来への展望を論じている。 また、2011年11月29日付け日本経済新聞は「戦略物資確保のために"国際バルク戦略港湾"への期待」と題して、国際バルク貨物海上輸送 における国際競争力についての展望について論じている。

  今や、中国、韓国とは大水深港整備などで大きく水をあけられ、日本の国際海上輸送の競争力はもはや過去のものである。国際海上輸送における単位当たりコストの国際競争力を大きく 左右する港湾インフラの再整備が必要不可欠となっている。日本が目指すのは港湾利用・海上輸送における世界トップレベルの 国際競争力である。それを目指すのであれば、それに相応しいベストな国家戦略、ハード・ソフト両面での施策やロードマップの構築 などをもって、たゆまぬ変革を続けて行くという覚悟がいる。

  岸壁使用料(接岸料)、出入港に伴うタグボートなどの料金、荷役料金などの港湾施設利用諸料金における国際競争力の問題が 指摘されて長い。手続きなどのサービス面での利便性、迅速性はどうか。 事業体は直接的生産コストのみならず、輸送コストの削減に真剣に取り組む。長さ40フィートコンテナの1個当たりの 港湾施設利用諸料金の観点から、神戸、釜山、上海、シンガポールなどとの国際競争力比較を行えば、その差は一目瞭然である。 日本の地方のコンテナ貨物を東京・横浜港、神戸港などに持ち込むよりは、釜山などのようなハブ港に持ち込み、基幹航路に乗せて 目的地へ海上輸送する方が安くなる。昨今では、ハブ港・釜山と日本の地方港 (例えば、日本海に面する諸港など) との間での フィーダー航路開設が増加している。長期国家戦略の下、港湾施設利用諸料金の引き下げを含む実効的な総合施策の再構築と実施が 次の未来を拓くことになろう。

  釜山ではその他、ウォーターフロント界隈をあちこち散策した。「釜山大橋」のたもとから埠頭沿いに港と影島を観ながら 「チャガルチ市場」方面に向けてそぞろ歩きをした。市場地区のランドマークは、コンクリート造りの大きな賃貸アパートのような形をしたビルである。 同ビル内だけでなく、その周囲に所狭しと魚貝類を小売りする店舗が集積し、築地の場外市場やアメ横のような活気溢れる情景がそこに あった。ビル内では数多くのシーフード・レストランが営業し、家族連れなどで大賑わいであった。同ビルと海との間の空間は船の甲板の ように板張りがなされ、広々としたテラスが広がり、大勢の市民らが思い思いに憩い楽しんでいた。市民はテラスを吹き抜ける潮風に吹かれ、 楽器を肩にかけたソロ歌手が歌う韓国歌謡曲に聴き惚れる。テラスはまるでピクニックのような様相で談笑の輪が広がり賑わう。 残念ながら釜山港内クルージングの機会はもてなかった。

  6,7階建ての近代的なビルの中に、その「チャガルチ市場」がある。釜山で魚貝といえばこの「チャガルチ市場」であろう。 市場とその周辺の散策は見逃せない。そこには築地の場外市場のような活気あふれる情景がある。 表通りといわず、裏通りにも、活魚・鮮魚類、干物類を売る沢山の小売り店が市場界隈で軒を並べる。 露天商も歩道などを占拠して鮮魚を売る。勤め帰りのOL、一般客、観光客らが入り混じって魚貝を買い求める。 行き交う人々の熱量は日が落ちる夕暮れ時から一段と高まるような気配であった。 2階には乾物店の他、お座敷スタイルのシーフードレストランが軒を並べる。1階のどの店でも生け簀にいれた雑多な活魚・活貝 を次々とさばいてくれる。レストランでは、その1階で買い求めた鮮魚などをさばいてもらって、2階で食することもできる。 お座敷では、波止場に停泊する船の灯りや釜山の街明かりを眺めながら、新鮮な刺し身や海鮮鍋に舌鼓を打つ。異国でありながら 何の違和感もなく、「港と魚の香り」に満ちた臨海の世界に身に浸しながら快適な一時を過ごした。

  時に地下鉄で「海雲台」というウォーターフロントへ出掛けた。そこに近代的な水族館があったからである。想像を はるかに超えた、なかなかモダンな大都市近郊型ビーチリゾートであった。大勢の若者や観光客などで賑わう。かなりの数の米兵も見かけた。 彼らにとっても、開放的なビーチ遊びだけでなく、ナイトクラブ、キャバレー、バー、ダンスホールや映画館などあらゆる娯楽が 揃っていて、気晴らしができるからであろう。日本でいえば、米海軍基地のある横須賀港界隈、サンドビーチの広がる江ノ島の湘南海岸、 それに温泉保養地である熱海などをミックスし、かつスケールアップしたようなオーシャン・リゾートである。ビーチを暫くぶらついた後、 その中核的施設である水族館「釜山アクアリウム」に足を運んだ。韓国では初めて訪問する水族館なので、わくわく心躍るものが あった。2時間ほどしか館内を巡覧する時間的余裕がなかったが、それでも満足感をもって館を後にした。

  水族館の地下出口に一台の乗用車が止められていた。自動車メーカーが宣伝用に展示するニューモデルだろうという思い込みがあって、 ほとんど気にも掛けず通り過ぎようとした。そして、エスカレーターに乗って地上階へ出ようとした。そこで何気なく後ろを振り返った。 そこには、車の窓ガラスに顔をくっつけんばかりに、何やら真剣に車内を覗き込む若いカップルがいた。次の瞬間に、二人は 車内の写真を撮るしぐさをしていた。珍しくもないセダン型乗用車に、何故カメラを向けるのかと不思議に思った。次の瞬間一つの思いが 去来した。「おやっと閃くものがあれば、必ず見ておくべし」との思いが打ち勝った。エスカレーターを昇り切たところで方向転換して、 下り方向のエスカレーターに乗り換えた。急ぐ旅をしている訳でもない私は、「既に現役を引退した身、何の急ぐことがあろうか」 との思いに背中をぐっと押された。

  取って返した意義はあった。何と車内にはハンドル、座席シート、ダッシュボードなどが普通に装備されているが、 車内は完全にシーリングされたうえ、水で天井まで満たされ、アマモが揺らぎ、色彩豊かなトロピカル・フィッシュが泳いでいる ではないか。エアレーションがなされ、気泡が勢いよくはじけていた。「奇抜で、ユーモア溢れるアイデアに脱帽!」であった。 さて、どこの自動車メーカーの宣伝なのか。このフィッシュ・タンクを見て思わずメーカーを知りたくなるのが人情である。しかし、 宣伝主の貼り紙も立札も何もない。さすが、心理学をわきまえる高度な(?)宣伝術と思いつつ、車のボンネット側に回り込み、 そのメーカーのエンブレムを確かめようとした。だが、それもなかった。その代わりに、「H」と記されていた。それは言わずと 知れた韓国の代表的メーカー「ヒュンダイ」のイニシャルであろう。ナンバープレートには「i30」とだけ記されていた。韓国人 には「H」といえば知らない者はいないはずである。車には全く興味はないが、フィッシュ・タンクの「特別仕様」には拍手喝采 ものであった。

  さて、釜山の北60kmほどの日本海沿いの地に蔚山(うるさん)という、かつて捕鯨基地として活気に満ち溢れていた町がある。 釜山から韓国版新幹線で行けば20分ほどである。蔚山駅から路線バスに乗って市街地へ向かった。途中、市街地中心部で別の路線に 乗り換えて、臨海部の「長生浦(チャンセンポ)」地区へと向かった。そこには韓国唯一のクジラをテーマとする「長生浦コレ(クジラ) 博物館」がある。蔚山は大手の造船所などがある大きな産業・港湾・漁業都市であるが、かつて捕鯨業でも大いに栄えていた捕鯨基地 でもある。そこに鯨類、捕鯨業に特化する本格的な博物館がある。いろいろな鯨類の紹介、鯨骨標本、捕鯨業・捕鯨基地を再現する ジオラマ展示、鯨を解体し大窯で煮て鯨油を採る工程の再現など、興味ある展示で溢れていた。今回の旅の二番目に重要な訪問地であった。

  鯨博物館前のバス停で降り立ち、通りを横切って博物館本館へと足を進めた。ふと振り返ると、バス停傍にそびえる商業ビルの壁面が 自然と目に飛び込んできた。そこには、巨大な鯨がジャンプし、「舞う」姿が壁面一杯に描かれていた。この壁面アートに「鯨の舞い」 という名を付けてみた。博物館のメインは「コレ(クジラ)博物館」(本館)であるが、その他に「クジラ生態体験館」(別館)があり、 また屋外には実物のキャッチャーボートが展示されている。

  その他、博物館を取り囲む野外広場はアート展示ゾーンと称され、鯨をモチーフにした幾つかの芸術的造形物が展示されている。鯨、イルカなどをモチーフにしたアート彫刻、モニュメント、記念碑 などである。また、広場には、親子3頭の鯨がバブル(泡)・カーテンを作りながら浮上し、摂餌する姿をモチーフにした野外ホエール・ アートが鎮座する。その「生態体験館」の壁面には、体表にフジツボなどをくっつけた一頭のコククジラと、15頭ほどのイルカとが仲良く 戯れる姿が立体的に描かれている。迫力のある芸術作品である。蔚山沖では、今でもそのすぐ沖までコククジラ (克鯨・gray whale,) が回遊し、クジラ・ウォッチング(探鯨)を楽しむことができるという。

     クジラ博物館では、1986年に捕鯨禁止されて以来消滅しつつあった捕鯨関連の遺物、史料などを収集し展示することで、鯨・捕鯨 の文化を後世に伝えようとしている。博物館(本館)の2階が一般見学者の入り口となっていて、2階から3階、1階へと見学する。 各階の展示概要は次の通り。

    2階: 捕鯨歴史館・捕鯨史料館。ニタリクジラ骨格と髭、シャチの骨格なども展示する。
    3階: コククジラ専門館。コククジラ頭骨、コククジラの音の体験・餌の摂取、コククジラの実物模型、クジラの搾油設備の展示、 クジラ解体・搾油工程の写真パネル展示など。
    1階: 子供クジラ体験館。鯨の生態と進化、回遊図、クジラの腹の中の路、鯨の胎児の液浸標本、いろいろな鯨の頭骨模型の展示など。

その他、クジラ生態体験館(イルカ水族館を併設する): クジラ物語、「鯨とともに歩む長生浦」、長生浦の捕鯨 基地を再現するジオラマ展示など。その他、館内には、4D映像館、海底トンネル、沿岸海水族館などの施設がある。

  屋外展示として、実物のキャッチャーボート「第6普陽号」を船内巡覧できる。 船首にそびえ立つ檣上見張り台には探鯨人が立つ。その手には望遠鏡が握りしめられ、波間に見え隠れするクジラを 見逃すまいと、真剣な眼差しを海原に向ける。見張り台直下では、もう一人の海の男が真剣勝負に挑んでいる。船首部先端上で銛の射手 (いて)(銛打ち)が、捕鯨砲(銛打ち砲 harpoon gun, whale gun)のトリガーに手を掛け、次の瞬間が来るのをじっと身構える。 そんな緊張感溢れる情景が屋外展示される。 砲が狙い澄ましたずっと先には、必死に逃げる実物大のコククジラ(克鯨)の姿がある。 なお、同じ敷地内には「鯨類研究所」(Cetacean Research Institute: CRI)が控えている。

  さて、韓国南西域の全羅南道の光州から南西方向へ70kmほどの距離にある木浦(モッポ)という黄海に面する漁業の町に、文化財 庁所属の「国立海洋文化財研究所」(National Research Institute of Maritime Cultural Heritage)を訪ねた。 研究所には 「国立海洋博物館」(National Maritime Museum) が併設されている。同研究所の主な活動は、水中文化遺産の発掘・保存・展示・教育である。過去の古い沈没船、伝統的な韓船の復原、海洋 文化遺産の収集・保存、海洋交流史や民族学的研究など、海に隠された文化遺産の再発見よって、韓国の海洋の歴史・文化を再評価 するなどの研究活動を行っている。

  主な展示としては、高麗時代の「莞島船」、1300年代の中国の交易船「新安丸」などの沈船から引き揚げられた水中遺物、 韓国の伝統的漁具、朝鮮通信使の船模型を含む朝鮮の伝統的な船舶の模型などである。また、屋外の岸壁には実物の伝統的漁撈船 が係留される。

  同博物館正面入り口前の広場に陣取るのは、驚くほど巨大な木製の錨である。それを最初に見た時は、錨は木製であるから 浮力は大きいはずであり、錨が水中を浮遊するようでは用をなさない。 しかも、この錨には大鉄塊や大石などが括り付けられているようには見えない。どれほどに実用的な錨なのか真っ先に疑問をもった。 その説明パネルには概略次のように記されている。それでも疑問は解けなかった。

  題名は「錨」。この錨は、韓国語で「Meong-teong-gu-ri-bae」という名の漁船のものである。漁船は韓国西海岸でのエビ・ トロール漁に使われた。その名前は、漁船自身では動くことができないことから、「fool boat(馬鹿な船)」という意味をもつ。同漁船は、 これまで長い間、強い流れのある水域にてエビ漁に用いられてきた。それゆえに流れに抗して水域に留まらせるには、すごく重くて 巨大な錨が必要であった。博物館の研究者や関係漁民が、2006年にこの錨を復元した。錨の長さは8.3m、幅は5mである。

  ところで、同博物館のすぐ近くの岸壁には、そのエビ・トロール漁に実際に使われた、巨大木製錨を装備する、「Meong-teong-gu-ri-bae」 の実物漁船そのものが係留展示されている。船首には巨大な錨の巻き揚げ機が装備される。錨の上げ下げには、船首部に設置された、 横型の胴をもつ巨大な巻き揚げ機が用いられる。さて、引き潮では錨が完全に露出している。船は、身動きが取れないくらいに 巨大な錨を抱きかかえるているようだ。他方、満ち潮では錨が没している。錨を支点にして流れに合わせて船が回転し、エビ網も 流れに向けて網口を広げるのであろう。このエビ船は、スクリューなどで動かされるものでなく、強い流れに踏み留まっていれば よく、通常の鉄製錨が備わっていたとしても役に立たないのであろう。むしろ、できるだけ錨を巨大にし重くしたうえで、 船をそんな錨に乗り上げさせるように錨を着底させておけば、停泊の用を足せるのであろう。

  一見したところでは、エンジンを装備し、いかにも自航可能なエビ漁船のように見受けられるが、自身では動くことができない。だから 「fool boat」という意味がその船名に込められているようだ。だが、ある意味では最も「賢い船」ではないだろうか。 強い流れの発生する海域にて、そんな重くて巨大な木製錨を着底させ、あたかも船形木箱のような漁船は海水の流れに抗して留め置かれる。 そして、両舷から張り出した長いブーム(桁)に取り付けられたトロール網が水流によって拡網され、その中へエビが海水の流れ とともに自然に入り込んで来るのを気長に待つだけである。

  燃油も必要なく、漁船乗組員を常時雇い入れるための人件費も必要としない、 環境に優しく「賢い船」ではないかと思えるのだが、、、、。自然の摂理をうまく利用しながら、持続可能な漁労を実現するようだ。 雨にも負けず24時間エビ捕りをしてくれる「働き者の船」ではないかとも思える。とはいえ、最大の難点は経済的採算性の合う漁撈を到底 実現できないということであろうか。現在では廃船されているのか、それとも現役漁撈船として時と場所によっては活躍 しているのか、訊きそびれてしまった。このエビ漁船は、1995年にキム氏 (Kim Yeongbok) によって寄贈された。船の主要目: 長さ15.5m、幅・船首6m、船尾3.4m、深さ・船首3.45m、船尾1.3mと記されている。

  さて、海洋博物館の各展示室の概要について紹介したい。

    ○ 第1展示室: 高麗時代の青磁宝船である「莞島船」が引き揚げられ、その部材や高麗青磁、航海用具、船上生活品などが展示される。 高麗青磁の大部分は康津、扶安、海南などで生産されたもので、海路を通じて地方と開京に運送する際に沈没したものである。
    ○ 第2展示室: 中国の商業貿易交易船の「新安船」は、1323年に中国から日本への航海途中に新安沖で難破したものである。 船には中国の多様な工芸品、高麗の青磁、日本の陶器、東南アジアの香辛料、薬剤など積載されていた。沈船の船底・船側の部材も 展示されている。
    ○ 第3展示室: 各種の伝統的な沿岸漁具、豊漁祭りなどの漁村民族学的な資料、1814年著作の海洋水産生物辞典などが展示される。
    ○ 第4展示室: 先史時代から近代までの韓国の船舶史を紹介する。古代船形土器、高麗から朝鮮時代、近代にいたるまでの韓国の 伝統船の模型などが展示されている。

  博物館の正面玄関ホールを進み行くと、吹き抜けで総ガラス張りの特設展示コーナーがある。陽光がさんさんと注ぎ込む同 コーナーに鎮座するのが、伝統的な「韓船」の大きな模型である。その特徴を概略記すとすれば、
・ 一本マストには、布製と思われる縦長の四角い大きな一枚帆をもつ。
・ 両舷側上部には、操船や艤装操作などのためのスペースと思われる張り出しがある。それはまた、船首尾間の行き来を容易にしている。
・ 木製の普通錨と、木・石混交の錨が、船首部に設置された木製の揚錨機(巻き揚げ機)に繋がれている。重しとしての石板が その両サイドから角材よってはさみ込まれている。船乗りが人力でこの揚錨機の車地を回して錨綱を巻き揚げる。 縦(竪)形車地ではなく横形車地である。例えば、「奈良・平城京歴史館」に復元展示された遣唐使船と似通った仕組みの揚錨機のように見える。
・ 船尾には数枚の板材を組み合わせて造った舵が船尾中央にある。
・ 船首の水切りは、現代の普通の船のように鋭角ではなく、上陸用舟艇のような箱型形状で、その下部は丸みを帯びている。

  その後、同博物館の至近距離に建つ「国立自然史博物館」に小一時間足を運んだ後、木浦バスターミナルから路線バスにて 釜山方面に向かった。途中、麗水(よすい)という港町に立ち寄り、安宿を見つけ投宿した。翌日、麗水市街地から2,3㎞離れた入り江 の桟橋に係留され一般公開される亀甲船(レプリカ)を訪ねた。船内装備や展示パネルなどをくまなく見学した。レプリカとは言え、 実物大の実際に浮かぶ亀甲船を目にしたのはこれが最初であった。その後、釜山への路線バスに飛び乗った。

  さて、翌日地下鉄で釜山の郊外の山間にある「海洋自然史博物館」へ足を運んだ。博物館が海岸沿いではなく、何故内陸部のこんな 山深いところの山麓に所在するのかが不思議であった。館内に足を踏み入れてみて、展示される魚介類の標本の多様性、豊富さに びっくり仰天させられた。多くの画像を切り撮ったが、展示数が多過ぎて半分くらいは積み残した。半日程度では時間不足となり、 後ろ髪を引かれながら博物館を後にした。だが、釜山にもい一度戻って来るための家族への口実ができたと内心喜んだ。 なお、博物館の1階では1階では竹島(韓国語:独島)に関する古文書・古地図などの史料が陳列される特別展が開催されていたので、 一通り巡覧した。ほとんどが韓国語によるパネル説明であったので理解はできなかった。
(注)釜山海洋自然史博物館: 釜山市東菜区温泉洞;金井山(クムジョンサン)の麓にある金剛公園(クムガンコンウォン) 内に立地する。

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    第20章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する
    第3-1節 韓国の海洋文化施設を訪ねて(その1)/釜山、蔚山、木浦


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     第20章・目次
      第1節 「自由の翼」をまとい海外を旅する、世界は広い(総覧)
      第2節 オーストラリアに次いで、東南アジア(タイ・マレーシア・シンガポール)の海洋歴史文化施設を訪ね歩く
      第3-1節 韓国の海洋博物館や海洋歴史文化施設を訪ねて(その1) /釜山、蔚山
      第3-2節 韓国の海洋博物館や海洋歴史文化施設を訪ねて(その2) /統営、閑山島、潮汐発電所など
      第4節 英国南部の港町(ポーツマス、プリモス、ブリストルなど)を歩く/2013.5、挙式
      第5節 アルゼンチン・ビーグル海峡とマゼラン海峡を駆け、パタゴニアを縦断する/2014.3
      [参考] ビーグル海峡、マゼラン海峡、パタゴニア縦断の旅程]


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