サン・ファン川を下り、サン・ファン・デ・ニカラグアへ Bajando el Río San Juan hacia San Juan de Nicaragua
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2.参加者: 中内清文、木島久恵、M.柳原、H.小野、T.中本、R.高松
3.旅の行程:
09:30 サン・カルロス(San Carlos) 到着 11:00 サン・カルロスを船にて 出発、サン・ファン川(Río San Juan)を下る 12:30 エル・カスティーヨ(El Castillo) 到着 14:30 エル・カスティーヨ 出発、サン・ファン川をさらに下る 17:30 サン・ファン・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)[英語名: Greytown] 到着
08:50 浚渫船(Draga)沈没地点 到着 09:00 1889年にバンダービルト(Vanderbilt)によって建設(開削・浚渫)された運河(7km)を遡上 10:00 グレイタウン(Greytown)跡地、英国人墓地(Cementerio Británico) 踏査 10:30 運河(7km)の入口(boca)にあるアドベンチャー・ロッジ「リオ・インディオ」(Adventure Lodge "Río Indio") 視察、昼食 13:30 サン・ファニーヨ川(Río San Juanillo)を遡上し、バンダービルトの運河開削計画ルート案に沿って踏査 14:30 エボ潟湖(Lago Ebo) 到着 さらにサン・ファニーヨ川を遡上し、シリコ川(Río Silico)へ 15:00 シリコ潟湖(Lago Silico) 到着 16:30 サン・ファン・デ・ニカラグア港 到着
09:00 浚渫船沈没地点 到着 09:30 カーニョ・スシオ川(Caño Sucio)河口 通過 09:40 サン・ファンニーヨ川(Río San Juanillo))河口 通過 10:15 デルタ(Delta)監視所(Puesto de Control) 通過 11:00 ティグラ(Tigra) 通過 11:15 サン・フランシスコ川(Río San Francisco)河口 通過 12:10 サン・カルロス川(Río San Carlos)河口 通過 13:30 エル・カスティーヨ(El Castillo) 到着 昼食、カスティーヨ博物館見学 15:30 エル・カスティーヨ 出発 16:00 サバロス川(Río Sábalos) 到着、15分程度遡上 17:30 サン・カルロス(San Carlos) 到着 翌日、首都マナグアへ戻る
このルートは植民地時代16世紀から19世紀において重要な物流のルートであった。 ルート⑥では、大西洋・カリブ海側のサン・ファン・デ・ニカラグア(英語名グレイタウンGreytown)から内陸の湿原地帯を通り、 サン・フランシスコ川にを通り抜けた後にサン・ファン川に入る。その後は同河川を溯上してニカラグア湖に至る。 また、ルート⑤では大西洋側のプンタ・ゴルダ(Punta Gorda)からサバロス川(Río Sábalos) を通り抜けた後にサン・ファン川に入る。これらサン・フランシスコ川やサバロス川の河口を確認し 可能であれば遡上し踏査する。 また、エル・カスティーヨ博物館の年表によると、1889年にサン・ファン・デ・ニカラグアで運河の建設(開削・浚渫)が始まった。 その際の運河開削・浚渫跡やサン・ファン・デル・ノルテ湾(Bahía San Juan de Norte)に 沈没して残され100年以上も経つ浚渫船、かつてこの辺りが地峡横断ルートとして繁栄していた頃のグレイタウン(Greytown) の街跡などを踏査する。
5.視察結果: 7月19日(日)
5.1 浚渫船(Draga)沈没地点-地点①
5.2 1889年に開削・浚渫された運河7kmを遡上-地点②
5.3 グレイタウン(Greytown)跡地-地点③
写真7.グレイタウン跡地 墓地看板 写真8.グレイタウン跡地 墓地
5.4 アドベンチャー・ロッジ 「リオ・インディオ」(運河建設跡入口)-地点④ ロッジは2000年に建設工事開始、2002年から営業が始まったそうだ。 内装は広々としていて、客室は全てロッジ・スタイルであった。スポーツフィッシング用の船や下の写真のような 湿原走行用の船(船尾に装備したいわば大型扇風機を回して湿原を滑走する舟艇)が用意されていた。
5.5 サン・ファニーヨ川(Río San Juanillo)を遡上-エボ潟湖(Lago Ebo)-再びサン・ファニー
ヨ川へ取り付きシリコ川(Río Silico)を経て-シリコ潟湖(Lago Silico)まで 7kmにわたり開削・浚渫された運河建設跡から内陸部へ、かつて計画された運河ルート(特にサン・ファン川が乾期に土砂の 堆積が激しくなり通航不可能になる30kmほどの河川部を迂回するためのルート)をたどることを目指して スタートした。しかし、サン・ファニーヨ川自身の川幅が狭くなり、また川面が水草で著しく覆われるようになり、 通航可能な澪(みお)の部分の幅は極端に細くなり、小型ボートでさえも通航困難となり目指していた地点まで辿り着く ことを断念した。 これらの湿原地帯の河川や狭水路は複雑に入り組んでおり、またカリブ海からの海水の圧力や潮汐作用による 潮の流れなどによるためか自然の変化がはげしく、この辺りを良く知る船頭でないとインディオ・マイス自然保護区内の 河川、潟湖(lago, lagunaなど)、狭水路(クリークなど)などを巡り踏査するのは難しい。 なお、サン・ファン川河口では大きなデルタ(三角州)が形成されている。そのデルタにおいてはサン・ファン川本流は コスタリカ領土内を流れている。従って、サン・ファン・デ・ニカラグアへ行き着くには、その本流からそれて (河口から30-40km上流部にて)、サン・ファン川支流を下って行くことになる。
6.視察結果: 7月20日(土) サン・ファン・デ・ニカラグアから、運河ルート⑤および⑥の河口を確認しながらサン・ファン川を上る。雨季である 現在はサン・ファン川にはたうたうと水が流れているが、乾季(2月から5月)には水量が減る。特にカーニョ・スシオ (Caño Sucio)、あるいはサン・ファン川とサン・ファニーヨ川との合流地点付近から、通行監視所の あるデルタまでの約30kmは、土砂の堆積で水深がわずか20-30cmになり、 船が通行できないほど減少する。水量が減少し船が走行できない時は、乗客が降りて船を押し進むそうである。
6.1 サン・ファン・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)からエル・カスティーヨ(El Castillo)まで
左奥にカリブ海の激しく砕ける波が見える
6.2 エル・カスティーヨとエル・カスティーヨの博物館(Museo en El Castillo)
6.3 ボカ・デ・サバロス(Boca de Sábalos)からサン・カルロス(San Carlos)へ
サン・カルロスまで戻ると、船着場付近に沈没船の煙突が見えた。200年前の沈没船だそうだ。
7.その他気付いた点、今後の課題
(b) ユネスコとの保護区における取り決めがあること、 (c) サン・ファン川周辺が砂上層からなり地質的条件が悪いこと、 (d) 堆積土が多いこと、などである。
・ ラマ川(Río Rama)方面の踏査を8月前半に計画。 文献GCINの中で、最も有利とされている 運河ルートはククラ川(Río Kukra)下流部およびラマ川(Río Rama)上流部に 沿ったルート③であるが、水の確保が大きな問題である。水を確保するためにダムの建設が必要になるが、 それらを視野に入れながらそれら付近の踏査を行う。 ・ 踏査場所は、ルート③上に位置するラマ川(Río Rama)の最上流域で、 ラマ川と国道との交点に位置する町エル・コラル(El Coral)、ラマ川のさらに上流にあるコロニア・リオ・ラマ (Colonia Río Rama)付近である。さらに、ラマ川の可能な限りの溯上、および再度ククラ川 (Río Kukra)の踏査を予定。また、ルート②上にあるマホンガニー・クリーク(Mahogany Creek)の 踏査をも予定。
以 上 |