一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
マゼランの探検航海と1519年の世界地図⌈ LOPO HOMEM ⌋
[アルゼンチン、フエゴ島、ウシュアイア海洋博物館]
南米アルゼンチン南部のパタゴニアの大地はマゼラン海峡にて海に果てる。その南には⌈ティエラ・デル・フエゴ島
(Tierra del Fuego、スペイン語で⌈火の土地⌋という意味)⌋がある。西側半分はチリ領、東側半分はアルゼンチン領
となっている。アルゼンチン領南側にはウシュアイア(Ushuaia)という同島最大の町がある。
ウシュアイアはビーグル水道(Beagle Channel)に面する港市である。1000kmほど南方には、
ドレーク海峡 (Pasaje de Drake/Drake Passage) をはさんで南極大陸がある。そして、⌈南極大陸への港&扉である
(Puerto y Puerta a la Antártida)⌋というのがこの港市ウシュアイアのキャッチフレーズである。 ウシュアイアにはいくつかの博物館があるが、その一つが⌈元監獄と海洋博物館⌋(Ex Presidio y Museo Marítimo de Ushuaia)である。 1896年に最初の囚人がウシュアイアに送り込まれ、1920年には監獄が建設されて多くの一般犯罪者・政治犯などが収容されていたという。 海軍基地内にあるその元監獄であった建物内には多くの監房があり、それらの一部が現在では博物館展示室として利用されている。
画像は、海洋博物館に展示されている世界古地図である。地図の表題は、⌈LOPO HOMEM, 1519; Mapa-mundi;
Collection de Marcel Destombes, Paris⌋である。
そのキャプションとして次のように記されている。 ・ すなわち、画像は、マゼランが⌈北の海⌋(大西洋)から⌈南の海⌋(現在の太平洋)への海道を求めて 用いられた⌈Lopo Homemの世界地図⌋である。 地図にはヨーロッパ・アジア、アフリカ、アメリカの三大陸が描かれ、その周囲は完全に陸地に囲まれている。 1498年、ポルトガル人航海者バスコ・ダ・ガマ (Vasco da Gama) が喜望峰を迂回しインドのカリカットに到着した (いわゆるインド航路の 開拓・発見である)。従って、世では既に、アフリカ南端の喜望峰を周回し、アフリカ大陸とマダガスカルとの間の海峡を抜け、 東回りのインドへの海道が認識されていた。アフリカにはリビア、エティオピアなどが、アメリカ大陸にはブラジルが、 アジア大陸にはアラビア、ペルシャ、インディアなどが描かれる。しかし、それら周辺の地とどう繋がっているのか、 また地球の反対側の地理についてはまだまだ未知の世界であった。 西回りでアジアのモルッカ諸島 (香料諸島、スパイス・アイランド) をめざしたマゼラン船隊は、ブラジル大西洋岸沿いに南下し、先ずは ⌈北の海⌋(現在の大西洋)から「南の海」*に通じる海の道を探し求めた。サンタ・マリア岬 (現在のウルグアイ首都モンテビデオの200kmほど東方; 最寄の都市はローチャ Rochaである)に到達した。同地より西方に連なる 海岸線沿いに航海を続けたところで山を視認したマゼランは、この地をモンテ・ビディ(⌈山を見た⌋という意味。 現在のモンテビデオ)と名付けた。海岸線はなおも西方へ向かっていた。
ジョアン・デ・リスボアはかつてこのモンテビデオに到達し、この海岸線を西方に辿れば⌈南の海⌋に出られる海道があり、 モルッカ諸島に到達できるという期待をもっていた。マゼランは彼と同様にその期待を抱いて西航したものである。 1520年1月10日にラ・プラタ川(río de La Plata; モンテビデオから150kmほど西方に位置する)の河口に到達したマゼランは、 最も小型のサンティアゴ号をもって内奥へと調査させた。しかし、⌈南の海⌋へ到達する海の道ではなく河川である ことが判明した。マゼランはそれを⌈ソリス川⌋と名付けた。
[2014.3.11-12 アルゼンチン、ティエラ・デル・フエゴ島ウシュアイアの⌈監獄および海洋博物館⌋にて]
|