ヘミングウェイ関連の略史
・ 1899年、米国イリノイ州のシカゴ郊外の町オーク・パークに生まれる。
・ 5年ほどのパリ生活を終えて、米国フロリダ半島南西沖に浮かぶ小島にある港町キー・ウェスト (Key West) に12年間ほど暮す。
(当時の邸宅が博物館として公開されてきた。彼は大のネコ好きで、邸内には当時の愛猫の数え切れないほどの子孫が住みついてきた)
・ 1939年、キー・ウェストからキューバのハバナに生活拠点を移す(同年から1960年までの21年間、即ち生涯のほぼ3分の1を
キューバで過ごした)。
そして、ハバナ郊外のサンフランシスコ・デ・パウラ(ハバナの東方14㎞ほどにある)という小漁村近くの丘の上に邸宅をかまえるまでは、
ハバナの旧市街にある「ホテル・アンボス・ムンド Hotel Ambos Mundos」を定宿にした。
(ホテル5階の511号室が彼の部屋であった。その部屋から旧市街の他、外海からハバナ港に通じる運河、その運河沿いに建つモーロ要塞や
カバーニャ要塞などを望見できる。同室は現在も一般公開され、当時の手紙類、タイプライター、釣り具などが展示されている)。
・ その後、サンフランシスコ・デ・パウラの邸宅に移り住む。「フィンカ・ビヒア」(望楼をもつ別荘の意味; Finca Vígia)
として知られる。
彼はそこで「老人と海 (The Old Man and the Sea, El Viejo y el Mar)」を執筆した。邸宅敷地内には、
かつてコヒマルに停泊させ、大物釣りに用いられた愛艇「ピラール号」(Pilar; 聖母マリアの名前)が保存されている。
・ 1952年、「老人と海」が出版される。
彼はほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期にかけて書き上げたが、「老人と海」は彼の作品のうちでも晩年に
近い小説となった。翌1953年、ピューリッツアー賞を受賞する。
・ 1954年、ノーベル文学賞を受賞する。「老人と海」はその受賞に大きく寄与した作品となった。
・ 1959年1月、キューバ革命が成就する。即ち、1959年1月、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラ等が率いていた革命軍が首都を制圧し、
20年以上独裁的政権を率いていたバティスタ大統領はドミニカ共和国に亡命し、政権は崩壊する。
(ヘミングウェイはそのニュースを米国アイダホ州サンバレーで知らされた。革命の3か月後にキューバへ一時帰国する)。
・ 1961年1月、米国はキューバと国交断絶するにいたる。
・ 1961年7月、ヘミングウェイ、ライフル銃にて自殺。享年62歳であった。
・ 1967年10月、チェ・ゲバラはボリビアの山中で捕まえられ、その翌日射殺される。
・ 2015年3月現在、米国オバマ政権はカストロ政権と国交正常化に向けた外交交渉を行なっている。
オバマ大統領の任期の残余期間中に両国外交関係がどう正常化され、現在まで半世紀以上も続いてきた米国による対キューバ経済制裁が
どう解除されて行くのか、世界的に注視されている。
(フィデル・カストロが国家評議会議長を退いた後は、キューバ革命を共にした実弟のラウル・カストロが議長職を引き継いで来た。
[参考]
・ ヘミングウェイは、イタリア戦線、スペイン内戦、第一次世界大戦などに深くかかわり、自らの実体験を
糧にしながら数々の小説を綴った。
「日はまた昇る (The Sun Also Rises)」 1926年(パリ生活5年目に当たる年)発表。
「誰がために鐘は鳴る (For Whom the Bell Tolls)」 1940年。
「武器よさらば (A Farewell to Arms)」 1929年(キー・ウェストで書き綴る)。
「老人と海 (The Old Man and the Sea)」 1952年出版される(ハバナで書き綴る)。