海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, アーネスト・ヘミングウェイErnest Hemingway, コヒマルCojimar, 「老人と海 El viejo y el Mar」, キューバCuba

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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キューバの海&文豪ヘミングウェイ(1)/⌈老人と海⌋を
生んだ漁村コヒマルの海景
[キューバ]

キューバ島はカリブ海に浮かぶ最大の島である。同島を主たる国土としているのがキューバである。首都ハバナから海岸沿いに 車で20~30分の東方の地にコヒマル(Cojímar)という小さな漁村がある。ハバナもコヒマルもキューバ島の北岸沿いにあって、 メキシコ湾流(ガルフ・ストリーム)が大河となって流れるフロリダ海峡に面している。当該湾流域は、 世によく知られた、マーリン (英語marlin; マカジキ) などの大物釣りの絶好の海域である。

1954年のこと、米国人作家アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899-1961)がノーベル文学賞を受賞した。 コヒマルはその受賞に大きく貢献したとされる彼の傑作「老人と海」の舞台になったところである。コヒマルには小さな入り江があって、 その入り口には小さな要塞が建つ。その傍らには、ヘミングウェイの死後、漁村の漁師らが錨などの鉄をもち寄って建てた彼を 記念する胸像が立つ。 画像はカリブ海のブルースカイ&ブルーオーシャンを背景にして切り撮った要塞と胸像の風景である。

[2015.2.2-17 カナダ&キューバの旅/コヒマル訪問 2015.2.8/2015.3.19 記][拡大画像: x26615.jpg]

a b
a. コヒマルのシンボルである要塞。その左側にヘミングウェイの胸像が立つ。 [拡大画像: x26701.jpg]
b. ヘミングウェイの胸像。 [拡大画像: x26700.jpg]


    ヘミングウェイ関連の略史

    ・ 1899年、米国イリノイ州のシカゴ郊外の町オーク・パークに生まれる。

    ・ 5年ほどのパリ生活を終えて、米国フロリダ半島南西沖に浮かぶ小島にある港町キー・ウェスト (Key West) に12年間ほど暮す。
    (当時の邸宅が博物館として公開されてきた。彼は大のネコ好きで、邸内には当時の愛猫の数え切れないほどの子孫が住みついてきた)

    ・ 1939年、キー・ウェストからキューバのハバナに生活拠点を移す(同年から1960年までの21年間、即ち生涯のほぼ3分の1を キューバで過ごした)。 そして、ハバナ郊外のサンフランシスコ・デ・パウラ(ハバナの東方14㎞ほどにある)という小漁村近くの丘の上に邸宅をかまえるまでは、 ハバナの旧市街にある⌈ホテル・アンボス・ムンド Hotel Ambos Mundos⌋を定宿にした。
    (ホテル5階の511号室が彼の部屋であった。その部屋から旧市街の他、外海からハバナ港に通じる運河、その運河沿いに建つモーロ要塞や カバーニャ要塞などを望見できる。同室は現在も一般公開され、当時の手紙類、タイプライター、釣り具などが展示されている)。

    ・ その後、サンフランシスコ・デ・パウラの邸宅に移り住む。⌈フィンカ・ビヒア⌋ (望楼をもつ別荘の意味; Finca Vígia) として知られる。 彼はそこで⌈老人と海 (The Old Man and the Sea, El Viejo y el Mar)⌋ を執筆した。邸宅敷地内には、 かつてコヒマルに停泊させ、大物釣りに用いられた愛艇⌈ピラール号⌋(Pilar; 聖母マリアの名前)が保存されている。

    ・ 1952年、⌈老人と海⌋が出版される。 彼はほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期にかけて書き上げたが、⌈老人と海⌋は彼の作品のうちでも晩年に 近い小説となった。翌1953年、ピューリッツアー賞を受賞する。

    ・ 1954年、ノーベル文学賞を受賞する。⌈老人と海⌋はその受賞に大きく寄与した作品となった。

    ・ 1959年1月、キューバ革命が成就する。即ち、1959年1月、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラ等が率いていた革命軍が首都を制圧し、 20年以上独裁的政権を率いていたバティスタ大統領はドミニカ共和国に亡命し、政権は崩壊する。
    (ヘミングウェイはそのニュースを米国アイダホ州サンバレーで知らされた。革命の3か月後にキューバへ一時帰国する)。

    ・ 1961年1月、米国はキューバと国交断絶するにいたる。
    ・ 1961年7月、ヘミングウェイ、ライフル銃にて自殺。享年62歳であった。
    ・ 1967年10月、チェ・ゲバラはボリビアの山中で捕まえられ、その翌日射殺される。

    ・ 2015年3月現在、米国オバマ政権はカストロ政権と国交正常化に向けた外交交渉を行なっている。
    オバマ大統領の任期の残余期間中に両国外交関係がどう正常化され、現在まで半世紀以上も続いてきた米国による対キューバ経済制裁が どう解除されて行くのか、世界的に注視されている。
    (フィデル・カストロが国家評議会議長を退いた後は、キューバ革命を共にした実弟のラウル・カストロが議長職を引き継いで来た。

    [参考]
    ・ ヘミングウェイは、イタリア戦線、スペイン内戦、第一次世界大戦などに深くかかわり、自らの実体験を 糧にしながら数々の小説を綴った。
     ⌈日はまた昇る (The Sun Also Rises)⌋ 1926年(パリ生活5年目に当たる年)発表。
     ⌈誰がために鐘は鳴る (For Whom the Bell Tolls)⌋ 1940年。
     ⌈武器よさらば (A Farewell to Arms)⌋ 1929年(キー・ウェストで書き綴る)。
     ⌈老人と海 (The Old Man and the Sea)⌋ 1952年出版される(ハバナで書き綴る)。


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1. コヒマルにあるレストラン・バーの⌈ラ・テラーサ(La Terraza⌋。ヘミングウェイはここによく出入りした。 そこに掲げられたコヒマルの風景画。要塞の傍の桟橋にはピラール号 (Pilar) が停泊する。 [拡大画像: x26706.jpg]

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2. ピラール号の船長のグレゴリオ・フエンテス(Gregorio Fuentes)の肖像画。 [拡大画像: x26703.jpg]
3. フエンテス船長の写真。 [拡大画像: x26705.jpg]

ピラール号はかつてコヒマルの港に停泊していた。キューバ人のグレゴリオ・フエンテス(Gregorio Fuentes)は、 ヘミングウェイが厚い信頼を寄せていたピラール号船長であり、彼のよき飲み友達・話し相手であり、大の友人であった。 グレゴリオは2002年104歳にてこの世を去った。

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4&5. フィデル・カストロ国家評議会議長 (当時) とヘミングウェイ。年代はいずれも不詳である。右の写真は大物釣りの大会時のものと 思われる。 [拡大画像: x26707.jpg][拡大画像: x26704.jpg]

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6&7. 今でも営業しているレストラン・バーの⌈ラ・テラーサ⌋の店内風景。奥にはレストランがあり、窓越しに コヒマルの入り江を眺めながら食事を取ることができる。手前は10人ほど座れるスタンド・バー。  [拡大画像: x26708.jpg][拡大画像: x26709.jpg]

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8. ラム酒⌈ハバナ・クラブ (Habana Club)⌋ (銘柄) をベースにしたモヒート(砂糖抜きのもの)。モヒートはラム酒に スパークリング・ウォーター、ミント、レモン、砂糖などを加えたもので、ヘミングウェイはこのモヒートを愛飲した (但し、砂糖抜きであったらしい)。 [拡大画像: x26702.jpg]
9. ⌈ラ・テラーサ⌋の外観風景。店の背後の右手には入り江が横たわり、左手には外海が開けている。道路沿いに 手前の方向に行くと要塞へ行き着く。 [拡大画像: x26710.jpg]
画像 1~8: いずれも⌈ラ・テラーサ⌋で切り撮ったもの。

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10&11. ヘミングウェイの邸宅⌈フィンカ・ビヒア⌋に展示される愛艇ピラール号 (Pilar)。同艇はかつてコヒマルに係留され、 ヘミングウェイはフエンテス船長を伴ってよく大物釣りに出かけた。 彼の死後、遺言により⌈フィンカ・ビヒア⌋はキューバ政府に寄贈され、現在はヘミングウェイ博物館となっている。 書斎、居間などには9000冊ほどの書籍で埋め尽くされている。 Pilar すなわち Nuestra Señora del Pilar は聖母ピラールのことである。スペインのサラゴサに祀られている、大理石柱の上に立つ聖母像。 スペインの女性の守護者の一人である。 [拡大画像: x26698.jpg][拡大画像: x26699.jpg]


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