海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 支倉常長像Tsunenaga Hasekura statute, 慶長遣欧使節mission dispatched by Masamune Date to Spain & Rome, ハバナHabana, Cubaキューバ

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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両洋を横断した慶長遣欧使節/史上初めてキューバの地を踏んだ
日本人たち
[キューバの首都ハバナ・支倉常長立像]

画像に見るように、キューバの首都ハバナのプエルト通り (マレコン Malecónとも称される) 沿いに、1600年代初期に慶長遣欧使節を率いた 江戸時代仙台藩士支倉常長のサムライ姿の銅像(Estatua de Hasekura Tsunenaga)が立つ。彼が指す方向に横たわる水路は、 メキシコ湾の外洋から(左方向)ハバナ港へ(右方向)と通じるアクセス運河(Canal de Entrada)である。

運河の入り口には2つの要塞が向かい合っている。画面中央下方に写るのが、いかにも堅牢そうなモーロ要塞(Castillo de los Tres Reyes Magos del Morro)である。要塞敷地内に灯台が建てられているのが見て取れる。 そのちょうど対岸の平地にはプンタ要塞(Castillo de San Salvador de la Punta)が築かれている。だが、支倉立像の台座のために 隠れて見えない。

台座の銘板には次のような説明書き (西語) が刻まれている。要約すれば、以下の通りである。

    支倉常長は1613年に仙台を出立した。当時の仙台封建藩主の伊達政宗の命で⌈発見の時代⌋にあったヨーロッパに向けて、 友好親善大使の資格でもって(慶長使節)派遣され、太平洋と大西洋を横断し、スペインそしてローマに到着した。そこで国王フェリペIII世と パウロ5世教皇との謁見が許された。支倉常長は異国の地における多くの窮乏に耐えて、さまざまな困難を克服し、彼の使命を果たし、 7年の苦難の旅の末、懐かしい故国の地に戻った。1614年7月に、スペインへ向けて大西洋を横断する途上において、船はラ・ハバナの町に 寄港した。彼はキューバの地に踏み入れた、史上初の日本人の一人であった。

    Hasekura Tsunenaga partió de Sendai en el año 1613, en calidad de embajador de buena voluntad (Misión de Keicho) enviado hacia Europa durante la Era de Descubrimiento por orden del entonces señor feudal de Sendai, Date Masamune. Cruzando el Océano Pacífico y el Atlántico, llegó a España y Roma en donde logró que se le concedieran audiencias con el rey Felipe III y el Sumo Pontifice Paulo V. Tsunenaga regresó a su tierra natal después de un duro viaje de 7 años, tras haber pasado muchas privaciones en suelos extraños, superando varias dificultades y cumpliendo con su misión. En el mes de julio de 1614, durante la travesía del Atlántico con rumbo a España el navio hizo escala en la Ciudad de La Habana. Tsunenaga fue el primer japonés en la historia que pisó la tierra cubana.

[備考] 1519年にスペイン人によって建設されたハバナは新大陸植民地支配の中心地となり、また新大陸とスペインとの貿易の 中継地として繁栄した。
1545年には、現在の南米ボリビアのアンデス山中においてポトシ銀山が開発された。そこで豊富な銀が安価に採掘され始め、1500年代後半には 大量の銀が生産されるにいたった。
最大の銀インゴット輸送ルートの一つは、ペルーからパナマ市に海上輸送された後、パナマ地峡のカミーノレアルを横断し、ポルトベリョ (Portobelo)から再び輸送船に積み込まれ、ハバナ港へと集められた。その後はスペインのセビーリャへと輸送された。
海賊からの略奪に対抗するため、1500年代中期には5、600トンへと船の規模は拡大し、さらには1000トンクラスのガレオン船へと発展した。 また、海賊対策として、ハバナから船団を組んで大西洋横断の途に着くことが多かった。

[2015.2.2-17 カナダ&キューバの旅/撮影 2015.2.8/2015.04.08 記][拡大画像: x26716.jpg][拡大画像: x26724.jpg: 銘板]


[拡大画像: x26723.jpg]


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