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ヨーロッパから地球を西回りでアジアの国、とりわけ黄金の国ジパング (日本) やカタイ (中国) をめざしたコロンブスたちは、1492年に
「新大陸」(カリブ海の島嶼) にたどり着いた。
それを起点に、スペイン人の征服者 (コンキスタドーレス Conquistadores) たちは、新大陸の金銀を貪欲に漁り、また先住民らを
隷属的支配下に置きながら、征服の拡大を続けた。
新大陸での金 (ゴールド) の産出量は意外と少なく、1500年代中頃には激減したという。しかし、1540年代に、現在のボリビアの
アンデス山中のポトシにて、またメキシコのサカテカスなどで大銀山が発見され、1500年代後半には大量の銀が採掘されることになった。
因みに、1545年に発見されたポトシ銀山では、ミタ (強制労働制度) によって、インカ帝国の人々が過酷な使役にかり出され、銀が
大量かつ安価に生産された。その労働は余りにも過酷を極めたこともあり、100万人の先住民の命が奪われたとされる。
他方、技術的には、銀山では水車による鉱石の破砕により、また1552年に水銀アマルガム法による精錬技術が開発されたことにより、
1500年代後半には 効率よく大量の銀が生産されるようになった。
ポトシ銀鉱山の所在地はアンデス山中の標高4000メートルにあるが、当時のパリと比肩する人口20万人の大都市に成長し、
1600年代になると西半球最大の都市に成長したという。
諸説あるが、1660年までに約15,000トンという桁違いの量の銀がスペインのセビーリャに所在した通商院へと送り込まれたとされる。
そのうちの約40%がスペイン王室の収入となり、残部はジェノヴァ商人などの手でヨーロッパ中に流通させられた。
[参考]因みに、徳川家康らは当時水銀アマルガム法による精錬技術を何としても手に入れたかったが、スペインではこの精錬技術は秘匿
されていた。
[参考]ミタ(mita)とは、スペイン統治下のペルー副王領において先住民のインディオに割り当てられた強制的労役のこと。
ポトシ銀山での強制労役が歴史上特に有名である。
[参考]サンタ・フェ(Santa Fe): スペイン・グラナダ県にある町; 1492年4月17日に、コロンブスとカトリック両王との間で、
航海に関する協約(Capitulaciones de Santa Fe)が結ばれた地である。
アフリカ南端の喜望峰を迂回しインドにいたる東回りの海上交易ルートを開拓したポルトガルとは対照的に、スペインは西回りで
大西洋を横断し、中米地峡を陸路で横切り、再び海路で太平洋を横断するという、ヨーロッパ・アジア間の長大な交易ルートを開拓した。
東洋産品の陶磁器、絹製品、香辛料などがマニラからメキシコを主領域とするヌエバ・エスパーニャ副王領の太平洋岸の港アカプルコ
に海上輸送され、陸路でカリブ海側の港ベラクルスへ、そこからキューバのハバナへと運ばれた。
他方、ポトシの銀をはじめ、ペルーやボリビアなどを主領域とするペルー副王領の金銀財宝や産品がカヤオ(現在のペルーの首都
リマ近郊の港)に集積され、その後船でパナマ・シティへと運ばれた。パナマ・シティからは「カミーノ・レアル(Camino Real
王道、スペイン王室への道)」と称される陸路を経て、パナマのカリブ海側の港ポルトベロ (Portobelo) などへ運ばれた。
その後、現在のコロンビアのカルタヘナなどを経て、キューバのハバナへと運ばれ、そこでスペインへの船団が配されるまで集積・保管された。
1519年にスペイン人によって建設されたハバナは新大陸植民地支配の中心地となり、また新大陸とスペインとの海上交易の中継地として繁栄した。
ハバナに集積されたそれらの大量の金銀財宝などは、メキシコ湾流と南東貿易風を利用して大西洋を輸送され、スペイン本国の通商院のある
セビーリャへと運ばれた。
1500年代中期にはガレオン船の規模は5~6百トンへとますます大型化した。なかには千トンクラスの大船も就航した。そして、金銀財宝等
を強奪する海賊に対抗するため、新大陸との貿易を独占した通商院は1543年以降年2回ハバナから船団を組ませて大西洋横断の
途につかせることが多かった。
画像は2つの海上の道を図示している。即ち、(1)マニラ~アカプルコ~ベラクルス~集積地のハバナ~スペイン、および(2)
リマ~パナマ・シティ~ポルトベロ~カルタヘナ~集積地のハバナ~スペインである。
[2015.2.2-17 カナダ&キューバの旅/2015.2.6&10 キューバの首都ハバナ、フエルサ要塞内の海洋博物館にて/2015.7.11 記
/画像はいずれも海洋博物館蔵][拡大画像: x26757.jpg][拡大画像: x26758.jpg][拡大画像: x26767.jpg]
* 参照文献: 宮崎正勝、新潮選書「海図の世界史 「海上の道」が歴史を変えた」、新潮社、2012年
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