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画像は英国グリニッジの国立海洋博物館に展示されている英国戦列艦「インプラカブル号」の船首像および艦尾装飾である。
「インプラカブル号」の船歴略史については以下の通りである(同館の展示パネル参照)。
「インプラカブル号」はもともとは1800年にロシュフォール (Rochfort) にて建造された艦砲74門をもつフランスの
「Duguay Touin」という名の船であった。1805年10月21日、トラファルガーの戦いで英国ネルソン提督艦隊と戦って敗走し、
その2週間後に2隻の英国艦船によって捕獲された。同艦は英国海軍 (the Royal Navy) に連れて行かれ、「インプラカブル号」と
名付けられその後の長い余生を過ごした。
船舶解体業者 (shipbreaker)の 作業場から同艦を救ったのは、1908年における、時の国王エドワード7世による
介入であったという他ない。同艦は慈善家のコッブ氏(Geoffrey Wheatly Cobb)へ譲渡され、少年たちの訓練船として用いられる
ことに相成った。
同艦の保存を手助けしたいという幾つかの申し出が何年にもわってなされた。最初のそれは1920年であった。
資金調達がなされ、デヴォンポート (Devonport) で修理が施された。1930年代にはさらなる修理が施され、そのことから同艦に矢継ぎ早に
次の将来を約束することへと繋がって行った。即ち、労働者階級の少年少女たちが休暇を過ごすための家 (holiday home) として利用された。
1936年の時点では、1067名を下回らない若者たちが基礎的なシーマンシップ (船の運用術・操船術) を学ぶまでになっていた。
* インプラカブル→ implacable: adj.なだめがたい、無慈悲な.
[2013.6.3-4 英国グリニッジ・国立海洋博物館にて][拡大画像: x25756.jpg][拡大画像: x25757.jpg]
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