一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
大航海時代、ブラジルに漂着したポルトガルの
航海者ペドロ・アルバレス・カブラル
[マカオ海事博物館]
ポルトガル王マヌエル 1 世の命により、1497年、いわば第一回のインド航路開拓のための遠征船団を率いて出立したのは
バスコ・ダ・ガマであった。ダ・ガマは1498年5月1日インド亜大陸の陸地を視認し、カリカット近くの港に錨を降ろした。 マヌエル 1 世は、その後インド航路の開拓を引き継がせようとした。その後継者として、ペドロ・アルバレス・カブラル (Pedro Álvares Cabral, 1467・1468年頃~1520年; 1468年頃ポルトガルのベルモンテ生まれ)を選んだ。 カブラルに与えられた遠征の任務は、インドとの永続的な貿易関係の確立や当地におけるキリスト教の布教であった。 13隻の船と約1500人からなる大船団には、バルトロミュー・ディアスやペロ・バス・デ・カミーニャ (Pêro Vaz de Caminha)、 サンチョ・デ・トーバル (Sancho de Tovar)、バスコ・ダ・ガマと航海を共にしたニコラオ・コエーリョ (Nicolau Coelho) たちが 乗り込んでいた。 1500年3月8日 (9日という日付もある)、13隻の船団がリスボンのテージョ川を出帆した。そして、 カブラルが船団長として率いたこのいわば第二回のインド遠征船団は、1500年4月22日ブラジルに「漂着」するにいたった。 その漂着した土地(現在にいうバイーア州ポルト・セグーロ Porto Seguro)をイーリャ・デ・ベラクルス(Vera Cruz島)と命名し、 ポルトガル領と宣言した(後のサンタ・クルスの地 Terra da Santa Cruz)。 ブラジル到着は、実際にはスペイン人のビセンテ・ヤーニェス・ピンソンの方が早く、1500年1月のことであった。 だが、ピンソンはそこをインドだと思い込んでしまったため、ブラジルへの到達者としてはカブラルの方が知られるように なったという。
説明パネルは次のように記されている。 [画像撮影 2015.11.21 マカオ海事博物館にて][拡大画像: x27052.jpg][拡大画像: x27053.jpg] |
カブラルの説明パネル [拡大画像: x27054.jpg] |