一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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ポルトガル航海王子エンリケの肖像画 [アルゼンチン国立海洋博物館]

画像はアルゼンチンのティグレにある国立海事博物館 (Museo Nacional de la Nación, Armada Argentina) に展示される ポルトガルの航海王子エンリケの肖像画である。
[参考] エンリケ航海王子: [ポルトガル語]Henrique el Navogador; Infante d Henrique, Infante de Sagres, O Navegador; [英語]Prince Henry the Navigator.

エンリケ航海王子 (1394-1460年) は、15世紀前半期に、ヨーロッパ大陸最西端の陸地が果てるザグレス岬 (ポルトガル)に 航海学校、天文台などを創建した。彼自身は航海に乗り出さなかったが、航海者を育成しアフリカ大陸西岸沿いに 南下する 探検航海へと次々に出立させた。 アフリカ大陸南方を周回することができればインドなどの東洋世界に到達することができると 信じ、その探検航海を計画的かつ時間をかけて探求し続けた。

エンリケ王子自身は、アフリカ大陸最南端の周回という大偉業の達成を知ることをなくこの世を去った。 彼の積年の探求の功績は 大である。その後のジョアン2世の時代にはポルトガルは怒濤のような勢いでアフリカ・アジアへと進出して行った。

彼の死後28年を経た1488年、バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰を周回するにいたった。 その後10年近くの時を経た1497年7月に出立したバスコ・ダ・ガマは、アフリカ西岸から大きく離れた航路をとり、 アフリカ南端を周回した後、東岸沿いに北上し、ついにマリンディに到達した。

彼は、同地で水先案内人としてアラビア人のイブン・マージド(インドのグジャラートの生まれで、インド洋での航海に 長けていた)を雇い入れ、1498年5月20日ついにインド西岸のマラバール海岸のカリカットに到達した。

ポルトガルのバスコ・ダ・ガマは東廻りで1498年にアジアに到達し、他方スペインの支援を受けたマゼランは西廻りでアジアをめざし、 アメリカ大陸南端部にて海峡を発見し、それを通過した後太平洋を横断して、1521年にアジアに到達した。 2017年現在からわずか500年ほど前のことである。

* 辞典内関連サイト: ヘンリケ航海王子、サグレス岬、 航海学校、ポルトガルの大航海時代の航海士たち
[画像撮影: 2014.3.7 アルゼンチン国立海事博物館にて][拡大画像: x26972.jpg][拡大画像: x26973-2.jpg]


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