一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
救国の名将・李舜臣の肖像画
[将軍の位牌がおさめられる統営・忠烈祠]
日本では豊臣秀吉による朝鮮侵略 (1592年~1598年) は「文禄・慶長の役」と知られる。朝鮮半島にて6年以上にわたり幾多の戦いが
繰り広げられた。海戦は主に半島の南部沿岸水域でなされた。
その幾多の海戦において、李舜臣将軍 (General Yi Sun-shin: 1545-1598) が率いる朝鮮水軍は豊臣水軍を撃破するなどして、自国を
勝利へと導く上で大きな戦功をおさめた。 因みに、統営においては、1592年7月8日、豊臣側の脇坂安治率いる日本軍船73隻を統営と閑山島との間の狭水道の海に誘い込み、 李舜臣将軍率いる朝鮮水軍は鶴翼の陣を敷き、大砲と矢を放って47隻を撃沈し12隻を捕獲し、大勝利をおさめたという。 時の国王の命により、1606年に、救国の忠臣・李舜臣の偉業を讃え祀るための祠(ほこら)が統営(Tongyeong) に建立された(祠は後に 「忠烈祠」(チュンニョルサ Chungryeolsa Shrine) となる)。 忠烈祠には同将軍の位牌がおさめるという。画像は忠烈祠内に掲げられた李舜臣の肖像画である。 忠烈祠の所在する場所は、統営の三道水軍統制営(トンヨンサンドスグントンゼヨン Tongyeong Samdosuguntongjeyeong, Naval Headquarters of Three Provinces; 1604年に設営)、即ち3道の海軍総司令部のあった場所のすぐ近くである。 案内パネルには以下の通り記される。 Following King Seonjo's command(指示に従って), the 7th Tongjesa Yi Unryong constructed a shrine in 1606 and held commemrative ceremonies for Chungmungong Yi Sun-sin every spring and autumn. General Yi was a war hero, protecting the country from Japan during the Japanese Invasions of Chosun, 1592-1598, the biggest crisis during the Chosun Dynasty.
[参考]祠: し、じ、ほこら、まつる |
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2-4. 忠烈祠に展示される亀船 (全長35.3m) の復元船の写真、板屋船および亀船の図絵。 5. 展示される亀船の大型模型。 |