一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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高田屋嘉兵衛の肖像
高田屋嘉兵衛顕彰館・歴史文化資料館/洲本

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画像1~3は、兵庫県洲本市にある高田屋嘉兵衛 (たかたやかへえ) 顕彰館・歴史文化資料館にて展示される高田屋嘉兵衛の肖像である。 嘉兵衛は江戸時代後期に廻船業などを営み豪商となった。

嘉兵衛 (1769年・明和6年~1827年・文政10年) は、兵庫県淡路島に生まれ、兵庫津に出て船乗りとなった。1798年(寛政10年)に、嘉兵衛は 「辰悦丸」という千石船を和泉屋伊兵衛から譲り受けて、船持ち船頭として独立したといわれる。 その後、廻船商人として北海道・函館に進出し、その地を拠点に廻船業のみならず、さまざまな商業活動や開拓事業、例えば国後島・択捉島間の 航路の開拓、漁場の開拓・運営などを行い、巨額の蓄財をなした。

嘉兵衛が手船の「観世丸」で択捉島から函館へ向かう途中であった1812年に、国後島ケラムイ沖で帝政ロシアの「ディアナ号」の リコルド (副艦長) によって拿捕され、水主 (かこ)(水夫) ら5人と共にカムチャッカ半島ペトロパヴロフスクに同年9月連行され、抑留生活を 余儀なくされた。抑留にはゴロヴニン拿捕事件が絡んでいた。即ち、前年の1811年にディアナ号艦長のゴロヴニンらが国後島に補給のために 上陸した時、松前奉行所役人によって捕らえられ、松前に連行され幽囚 (ゆうしゅう) の身となっていた。

嘉兵衛は、日露交渉の間に立ち、両間の対立の緩和やゴロウニンの早期釈放のために知恵を出し、両国関係者間を奔走し、当該事件の解決 へと導いた。嘉兵衛の連行(1812年9月)から1年ほどを経た1813年9月に、ゴロヴニン艦長らは帝政ロシア側に引き渡され、拿捕事件の 解決を見た。
[参照]高田屋嘉兵衛の略史

[画像撮影: 2017.10.13 高田屋嘉兵衛顕彰館・歴史文化資料館にて/顕彰館所在地: 〒656-1301兵庫県洲本市五色町都志1087/電話: 0799-33- 1605]
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