画像は中国・杭州の「京杭大運河博物館」において、「唐代木船」と題して展示される唐時代の木造船の大型模型である。
船は、単檣(一本マスト)、積載重量は20トンで、1973年に発掘されたもの。
紀元後604年に即位した隋王朝の煬帝 (ようだい) は、翌605年から大運河の工事を始めた。
最初に黄河から淮水まで結ぶ「通済渠(つうせいきょ)」が、続いて黄河から天津まで結ぶ「永済渠(えいせいきょ)」
が造られた。さらに長江から杭州にいたる「江南運河」が造作され、華北から江南へとつながる京杭大運河が、610年に
完成するに至った。
因みに通済渠の開削工事には百万人にも及ぶ人民が使役されたという。他方で特別の重税が課せられた。
大運河の経済・社会的な功は多大であるが、人民からの労働力の甚大な徴発、さらに人民へ重税賦課の強要が、
皇帝の暴政として民衆から非難を浴びた。また、隋代末の反乱の引き金にもなった。
また、煬帝は「龍船」に乗り運河を遊覧したり、江南地方へ行幸したことも、民衆からのそしりを免れなかった。
さて、民衆を苦しめたことが「隋朝打倒」の大義名分の一つとなって創建された唐王朝であったが、その唐王朝自身が
大運河の最初の大受益者となったといえる。大運河は610年に完成するに至った。
[画像撮影: 2017.4.5 中国・杭州の京杭大運河博物館 The Great Jinghang(Keikou) Canal Museumにて]
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3.「唐代木船」の展示風景
・ [拡大画像: x28429.jpg][拡大画像: x28430.jpg: 「唐代木船」の説明書き]