さて、常設展示室では、中央区の歴史や文化を幾つかのテーマやサブテーマに分けて展示されているが、ここでは魚や漁業、造船・舟運など
にちなんだ展示につき概観する。
* 「日本橋と魚河岸」。江戸時代、日本橋の袂(たもと)の日本橋川北岸沿いの通りには魚市が建ち並んで、その賑わいは半端ではなかった。
館内には、魚市の一部を復元した「日本橋魚河岸復元模型」が展示される。
* 「佃島漁師と白魚献上」。徳川家康将軍とのある縁で将軍に許されて大坂の佃島から江戸に下って来た漁師たちは、隅田川河口の浅瀬を埋め
立てて島を造成し、漁撈を生業にして住みつくようになった。その佃島の漁師が獲った江戸前の白魚を将軍に献上するようになった歴史を紹介する。
* 「月島と水辺の文化」。本コーナーの展示パネルでは、隅田川岸を捉えた大変珍しい古写真を見ることができる。特に珍しいのは、明治末から大正初年
(1911-12年)頃の隅田川川縁の築地海岸にて積み荷の荷下ろしや潮待ちのためにおびただしい数の帆船が停泊する船溜まりの風景写真である。
* 「佃島の漁業/白魚漁と海苔養殖」。べか舟を乗せた親船(おやぶね)の風景写真も展示される。東京湾での海苔場は、
羽田沖(大田区)から葛西沖(江戸川区)に及んでいた。海苔場が遠くにあったことからも、その沖合いの海苔場までは、
海苔採集やその他の作業のための小舟(べか舟)を親船に乗せて運ぶようになった。佃島では、明治17年(1884年)には、戸数101戸、
漁船158隻の規模の漁業が営まれていた、とパネルに記される。
* 「白魚漁の漁法」。白魚漁には四つ手網(よつであみ)が用いられたが、その他に、叉手網(さであみ)、刺し網、樫木張網
なども用いられた。
漁期は2月中旬から5月下旬であった。四つ手網とその漁船の模型、その他いくつかの漁具が展示される。
* その他の展示品と説明書き。
・ 佃島のすぐ北側に所在した石川島に、その昔「石川島造舩所」があったことを記す古地図が展示される。江戸時代末期、幕府の命で
水戸藩が石川島に造船所をつくった。それ以後、政府による官営へ、さらに民間企業による民営へと、その経営は変わるが、昭和54年(1979年)
石川島播磨重工業がこの地を去るまで造船所として存立していた。
・ 野沢定吉による画である「東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図」の展示。明治時代初め蒸気船による河川交通(川蒸気)が発達した。
両国橋のたもとから銚子、古河、土浦方面へと定期貨客輸送をした。東京通運会社が所有・運航した「通運丸」は外輪船であった。
・ 明治40年(1907年)の日付けが記された、新川の風景写真が展示される。江戸時代から昭和初期にかけて、隅田川に新川が注ぎ出る
直下の岸沿いには酒問屋が密集していた。そして、下り酒の新酒一番船を競い大変賑わった場所である、と紹介されている。特に西宮の灘の新酒は
高値で取引されたので、樽廻船は競い合って江戸入港を目指した歴史がある。
辞典内関連サイト: 「今津灯台と樽廻船」 [西宮市]
[撮影年月日:2019.10.16/撮影場所:東京都中央区立郷土天文館「タイムドーム明石」、中央区明石町12-1 中央区保健所等複合施設6F
/電話: 03-3546-8258/地下鉄日比谷線「築地駅」出口3より徒歩7分][拡大画像: x28535.jpg]