一枚の特選フォト「海 & 船」
東海道五十三次・尾張の「宮」宿 (熱田) の常夜灯(写真・図絵)
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江戸時代初期に尾張の熱田の浜に常夜灯が建てられた。 画像 1 は名古屋海洋博物館に展示される「常夜灯略年表」と題するパネルである。 同略年表によれば、
・ 1654年(承応3年)、常夜灯は、火災のために築地町神戸浜へ移設された。 ・ 1707年(宝永4年)、常夜灯は、地震のために倒壊した(後日復旧)。 ・ 1791年(寛政3年)、常夜灯類焼(10か月に再建)。 ・ 1891年(明治24年)、常夜灯、地震のために倒壊した(濃尾地震、後日復旧)。 ・ 1955年(昭和25年)、太平洋戦争により焼失していたた常夜灯、復興再建された。
ところで、400年ほど時を遡った昔、尾張の熱田神宮の南には「熱田の浜」と呼ばれる海浜が広がり、熱田の町は門前町、漁業の町、宿場町
として栄えていた。1601年(慶長6年)に、徳川家康が江戸と京都を結ぶ街道として「東海道五十三次」を整備したが、尾張の「宮」宿と
伊勢の「桑名」宿の間には木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)をはじめとする大きな河川があり、それらを迂回するために海路が拓かれていた。
その距離は約7里(しちり)(27㎞)であったことから 宮の船着き場には、夜間でも船が安全に出入りできるように、1625年(寛永2年)に常夜灯が建てられた。その東側には当時の燃料であった 菜種油(なたねゆ)の原料となる菜の花を栽培する畑もあった。 画像2、3、4は、同パネルに貼付された燈明台の写真や図絵であるが、略年表での位置づけが示されておらず、それらの年代・場所などを特定できない。 だが、いずれも「宮」宿(熱田)の常夜灯や常燈明であると見られる。 画像5は「尾張名所図会」の一部であるが、本図会のキャプションとして、宿場町「宮」は東海道五十三次で最も栄えた町であったこと、 灯台の役割をもつ常夜灯も描かれていることが記されている。また、東海道が名古屋を通らずに南の熱田を通ったので、熱田は宮の宿場として 栄えたこと、宿場には藩の機関として、熱田奉行所、船奉行所、船番所、東浜・西浜御殿も置かれたこと、さらに船着き場には常夜灯が 置かれ、伊勢の桑名への渡し船が発着していたことが記される。
● 辞典内関連サイト: 「名古屋港発祥地・東海道五十三次宿場町の尾張「宮」から伊勢「桑名」への
[撮影年月日:2020.9.23/撮影場所: 名古屋海洋博物館] |