一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
英国人ブルネル設計の「グレート・ブリテン号」(1)/6本マスト蒸気船全景
英国人技師アイザンバード・キングダム・ブルネル(1806~59年)は、1833年、ロンドンとブリストル、
さらにはコーンウォルを結ぶグレート・ウェスタン鉄道敷設の主任技師に任命された。
ブリストル鉄道線の完成間近に、造船の世界にのめり込み、1838年蒸気船「グレート・ウェスタン号」を竣工させた。さらに
「グレート・ブリテン号」の設計を行い、1850年代には「グレート・イースタン号」の設計・建造に精魂を傾けた。 画像は、英国南西部ブリストルの船舶博物館として展示される「グレート・ブリテン号」 (ss Great Britain) である。既述の通り、ブリテン号は、英国人土木・船舶設計技師の I. K. ブルネル(Brunel)によって 設計・建造されたもので、史上初の全鉄製船体をもち、かつ史上初のスクリュー・プロペラを装備した、当時としては近代的かつ 最大規模の外洋航行船であった。 ブリテン号では、何種類かのプロペラが設計・提案されたが、最終的に装備されたのは6枚の角型翼のデザインである。 進水したのはまさに現在泊渠しているドックからであり、1843年7月19日のことである。
I. K. ブルネルと「グレート・ブリテン号」にまつわる略史は以下の通りである。
1819年、補助蒸気機関と外車を装備した全装帆船「サヴァンナ号」が、蒸気船として初めて大西洋横断に成功する (横断時、 蒸気エンジンが稼働したのはわずか85時間程度で、残りは帆走によるものであった)。 1838年、I. K. ブルネルが設計した「グレート・ウェスタン号」が蒸気動力のみで大西洋を横断する。ウェスタン号とほぼ同じ頃、 蒸気船「シリウス号」(700トン)も蒸気動力のみで大西洋を横断し、ウェスタン号と横断日数を競い合った。 ニューヨークへの航海日数は、ウェスタン号が14日間、シリウス号は19日間であった。 1839年、ブルネルが設計した世界初の全鉄製の船「グレート・ブリテン号」の建造が始まる。
1840年、プロペラで推進する実験船「アルキメデス号」が英国ブリストルを訪問する。感銘を受けたブリテン号の建造関係者は、
当初計画の外車 (または外輪・paddle wheels) を中止し、直径4.7mの6枚羽根のスクリュー・プロペラを採用することにした。
1841年、「グレート・ブリテン号」の船体建造作業が続行される。 1843年7月19日、ブルネル設計の世界初の全鉄製の「グレート・ブリテン号」が進水する。
1844年、ブリテン号のエンジンが完成し、同号はドック閘門を通ってエイヴォン川(Avon River)に移動する。
1845年、ブリテン号はニューヨクへ処女航海する。同航海において、リバプールとニューヨーク間を14日と21時間で航海した。
1845年、英国海軍省は、スクリューで推進するスループ型軍艦「ラトラー号」(888トン)と、外車式蒸気船「アレクト号」(800トン)
とで綱引きをさせた。結果、スクリュー船ラトラー号の圧勝となる。なお、双方は200馬力の蒸気機関を装備していた。
1846年、ブリテン号がアイルランド沿岸で座礁する。 1847年、ブリテン号は、8月27日に離礁し、リバプールへ曳航される。 1849年、ブリテン号は「Gibbs, Bright & Co.」へ売却される。
1851年、「Gibbs, Bright & Co.」はブリテン号をオーストラリアへの旅客輸送に就航させるために再艤装を施す。 1852年、ブリテン号がオーストラリアへ最初の航海をする。なお、1852年から1882年頃までオーストラリアへの移民クリッパー として活躍する。
1853年、ブリテン号、英国~シドニーの航海、さらに英国~メルボルンへの航海をおこなう。
1858年、I. K. ブルネルが全鉄製の「グレート・イースタン号」を建造する。全長約210m、幅25.9m、深さ18m、4,000人の乗客と12,000トン
の石炭を積載できる史上最大の巨船で、その後40年間これ以上の巨船は出現しなかった。
1859年、I. K. ブルネルが死去する。 1854年、英国グラスゴーにて、ジョン・エルダーが初めて二段膨張機関を「ブランドン号」に取り付ける。
* 1861年、米国南北戦争が始まる。 1872年、ブリテン号のグレイ船長、洋上において行方不明となる。 1876年、ブリテン号が客船としてオーストラリアへの最後の航海を行う。 1882年以降、ブリテン号は3本マストの帆船に改造され、石炭などの輸送に従事する。 1894年、チャールズ・パーソンズ卿が、はじめて船用蒸気タービンをつくって「タービニア号」に取り付けた。
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