Page Top


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


    閘門式港湾施設を擁する「三池港」(その2)/昔の港景 [福岡県大牟田市]

    1 2
    1. 1908年(明治41年)完成当時の、有明海側から臨む三池港全景。中央部にある閘門より上部の水面が船渠、手前の水面が内港。 出典:三池港の内港に面する「あいあい広場」の三池港案内パネル「三池港の歴史と今も残る近代化遺産」より。
    2. 現在の三池港全景。中央に閘門が見える。出典:「三池港展望所」に掲示される展示パネルより。

    3 4
    3. 完成当時の閘門鉄扉。出典:船渠東側の公道脇に立てられた「世界遺産三池港」パネルより。
    4. 同上。出典:「あいあい広場」の三池港案内パネルより。

    5
    5. 船渠東側の岸壁に設置された通称「ダンクロ・ローダー」(三池式快速船積機)。かつて人力に頼っていた石炭積み込み作業は、 このローダー導入によって飛躍的に改善された。往時には3基のローダーが稼働し、昼夜を問わず積み込み作業がなされた。 出典:「三池港展望所」に掲示される展示パネルより(写真提供は大牟田市石炭産業科学館)。

    6
    6. 完成当時の閘門鉄扉。出典:「三池港展望所」に掲示される展示パネルより。


     三池港の築港を指揮したのは團琢磨(だんたくま)(1858~1932年)であった。 彼は1858年(安政5年)福島藩士の子として生まれた。1871年(明治4年)に渡米し、マサチューセッツ工科大学(MIT)で鉱山学を学んだ。 1889年(明治22年)に三池炭鉱社の事務長に就任した。

     1898年(明治31年)から翌年にかけて欧米を視察した團らは、帰国後築港適地の選定調査を行った。そして、1902年(明治35年)に築港を開始 し、1908年(明治41年)に船渠内に導水し、その竣工に漕ぎ着けた。

     團琢磨は100年後の大牟田の将来を見据えて築港計画を押し進めようとしたことはよく知られている。「石炭鉱山は永久のものではない、築港すればそこに産業を興せもし、 いくらか100年の基礎になる」と三池港の築港を説いた。彼は、築港をはじめ、宮原・万田などの鉱山開鑿(かいさく)、 三池炭鉱の近代化などを推進した。同港は現在でも重要港湾施設として現役稼働している。

    7 8
    7. 三池港築港前の海岸線(なぎなたの洲)の様子を写した画像。出典:「あいあい広場」の三池港案内パネルより。
    8. 三池の石炭が大牟田川河口から熊本県三角西港(宇城市)や島原半島の口之津(くちのつ)港まで小型運搬船や艀で海上輸送 されていた。その様子を覗き見れる画像である。口之津などでは人夫が石炭を担ぎ、大型汽船へと積み替えた。
    [撮影年月日:2023.06.17/場所: 福岡県大牟田市・三池港にて] 

このページのトップに戻る /Back to the Pagetop


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ