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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    「平戸オランダ商館」
    (付属: 1550~1650年代における平戸と海外との関係年代略史)

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    「オランダ東インド会社(VOC)」(Dutch East India Company)は1602年にオランダで設立された。 そして、17~18世紀にかけてアジアの海に広大な貿易ネットワークを築いた。平戸の「平戸オランダ館」では、VOCの組織やその歩み、 貿易ネットワーク構築の発展などについて学ぶことができる。

      ・ ポルトガルとの交易について
      1550年に、ポルトガル船が平戸に初めて来航した(ポルトガル貿易の開始)。これは日本で初めての西洋船の来航であった。以後、平戸には数十年にわたり ポルトガル船が寄港した。しかし、キリスト教や文化の違いなどによるトラブルも発生し、ポルトガルは十数年で平戸を撤退し、 長崎へその拠点を移して行った。そのため、これらの初めての西洋との交流は終焉を迎えるに至った。

      ・ 1584年、スペイン人がルソン船にて初めて平戸に入港した。

      ・ 1600年、オランダ船リーフデ号(The Dutch ship De Liefde)が豊後に漂着する。

      ・ 「平戸オランダ館」内の案内パネルによれば、1609年2隻のオランダ船が初めて平戸に来航した。そして、既に徳川幕府に 仕えていた英国人航海士ウイリアム・アダムス(三浦按針)やその他平戸藩・松浦家の協力の下に、オランダ船の使節は徳川家康に 謁見し、日本との交易の許可を得て江戸から平戸へと帰還した。同年9月20日に「平戸オランダ商館」(Hirado Dutch Trading Post;  De Nederlandse Factorij in Hirado)の設置が決定された。かくして、それ以後の江戸時代(1603~1868年)における日蘭交流・ 貿易の幕が開けた。

      ・ 1609年、オランダ船平戸に入港する(平戸オランダ商館設置され貿易が開始される)。館内には「徳川家康朱印状 複製 平戸市蔵 (原本: オランダハーグ国立公文書館蔵)」が展示される。それによれば、徳川 家康は、1609年に来航した初めてのオランダ船のオランダ使節に対して渡航許可証を発給した(所蔵画像No.5336)。 日本のいずれの港に寄港してもよいことなどが保証された。なお、オランダ船2隻の平戸入港を知ったW.アダムスは両船を臨検 するために平戸を訪れている。

      ・ さらに案内パネルによれば、1602年に「連合東インド会社」(De Vereenigde Oostindische Compagnie; VOC/Dutch United East India Company)が設立された。その「VOC」は、それ以前に存在した多くの貿易会社(フォールコンパニーエン=先駆的諸会社) を統合して誕生したものである。連邦政府から同会社に条約締結権や兵権などが付与された。

      ・ VOCの組織は6つの「カーメル(kamers; 「部屋」の意)」と称される支部から構成されており、最高議決機関である「17人会 (Heeren XVII)」は、規模に応じて各カーメルに割り当てられた人数の代表者によって構成された。
      [注] ここでいう「東インド (the ‘East Indies')」とは「喜望峰より東、マゼラン海峡より西」、現在の太平洋・インド洋という 広範囲の地域を指している。

      ・ 1613年、イギリス船が平戸に入港する(平戸イギリス商館が設置され貿易が開始される)。1623年イギリス商館閉鎖される。

      ・ さらに案内パネルによれば、「平戸オランダ商館」の活動(商館は1609年設置、1641年に長崎・出島への移管が命じられた)の 内容からして、商館の性格を2つに区分できる。

        1. 設置当初から1620年代後半までの第1期: 商館の交易は小規模なものであった。商館は当時、東南アジア方面で使用される 武器や弾薬・銃弾(ammunition)などの軍需物資の供給元として重要視されていたという事情や、商館は日本市場向けの商品を 十分に調達できなかったことが大きな理由であった。

        2. 1633年から出島移転(1641年)までの第2期: 1630年代に入ると「平戸オランダ商館」の取引は飛躍的に増大して行った。 VOCはこの時期には対日関係を交易重視の方向へと政策転換しており、台湾に拠点を確保するなどして日本市場向けの商品を順調に 供給できる体制が整っていた。また、この時期は徳川幕府によるいわゆる鎖国政策が進められて行く時期に当たり、この政策の 進展も同商館の飛躍の一因となった。因みに、朱印船の廃止やポルトガル船の追放など、「平戸オランダ商館」に有利な状況が 次第に醸成されていった。なお、長崎・出島時代を含めた江戸時代を通じて、「平戸オランダ商館」の利益が最大になるのは、 平戸時代における最晩年であった。

      ・ 「1639年築造倉庫の復元」と題する館内パネルによれば、急増する交易品の保管のために1639年に築造されたのが画像1に 写るこの大型の石造倉庫(復元)である。「平戸オランダ商館」では最大規模の倉庫であった。1638年12月に本格的に着工、翌年7月 にほぼ完成した。巨大な木材やおおよそ2万個の砂岩の切石が用いられていた。

      ・ 1639年、ポルトガル人、日本への来航禁止される。

      ・ 1640年には、幾つかの理由があって、幕府は築造の完成から間もないオランダの「1639年築造倉庫」の破壊を命じた。その後、 1637年に築造された石造倉庫や住居なども順次破壊することが命じられた。1609年に設置された「平戸オランダ商館」であったが、 ついに1641年に幕府から「長崎出島」への移転を命じられ、「平戸オランダ商館」は閉鎖された。 ここに、33年間の平戸時代の歴史に幕が下ろされた。出島はもともとポルトガル人を隔離するために築造されたものであった。 移転後にあっては、オランダ商館も厳しい管理下に置かれながら長い出島時代を送ることになる。

    [画像撮影年月日: 2023年6月14日/撮影場所: 「平戸オランダ商館」にて][拡大画像: x29268.jpg]


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