|
イブン・バットゥータ(英語名: ibn Battuta; 1304 - 1368年)。モロッコ北部の、ジブラルタル海峡に面する港町タンジェ (タンジール)
生まれのイスラム法官であった。
アラブ語での正式名はかなり長いもので省略するとして、「ibn-」とは「息子 (英語: son)」という意味である。
彼は、イタリア・ヴェニス出身のマルコ・ポーロと並び称される中世の大旅行家である。
(1) 1325-1346年の旅程は以下のようなものであった。
* マーリン朝時代 (1196‐1465年) にあったモロッコを出発し、北アフリカ沿岸を経てエジプト、シリアへ向かう。
アラビア半島紅海寄りのイスラム教聖地メッカへ (これらのいずれの地も、当時エジプト・マムルーク朝 (1250-1517年) の版図下にあった)。
* その後アラビア半島を横断し、当時イル=ハン国 (1258-1353年) の版図下にあった現在のイラク、イランを巡遊した後、
メッカに戻り1330年まで滞在した。
* 次いで、アラビア半島南西のイエメンのアデンを経て、東アフリカ海岸の沿岸諸都市モガディシュ、モンバサ、
ザンジバルへいたる。その後アラビア半島のオマーンへ。ペルシャ湾に入りアラビア半島を縦断し、再びメッカへいたる。
* その後、小アジア (アナトリア地域) を経て、黒海沿岸を巡遊した。コンスタンティノーブルをも訪ねた。更に、
現在の南ロシアと中央アジア地域 (これらは当時キプチャク=ハン国 (1243-1502年)、イル=ハン国 (1258-1353年)、
チャガタイ=ハン国 (1307年-16世紀) などの版図下にあった)を経て、現在のパキスタン・インド北部へと巡遊した。
1340年までの8年間、インド(当時トゥグルグ朝の版図下)のデリーで法官となった。
* 更に、インド西海岸を南下して、インド洋にあるモルディブに渡り1年近く滞在した。
* その後、東南アジア沿岸を航海し、中国の泉州・杭州 (臨安) を経て、大都 (現在の北京) へいたる。再び泉州から海路にて
南シナ海、インド洋を横切り、イラン、イラクを経てメッカに立ち寄った後、モロッコに帰還した。
(2) 1349-1354年の旅程として、イブンは、モロッコからまずイベリア半島アンダルシア地方を旅した後モロッコに戻り、
マリーン朝の都フェズから南下し、アトラス山脈を越えサハラ砂漠へ足を踏み入れた。大砂漠を縦断し、
現在のアルジェリア、マリ、ニジェールなどを巡遊して、1354年にフェズに帰還した。
25年にわたって、アフリカ・アジア・ヨーロッパのイスラム世界の境域を旅したイブン・バットゥータは、マリーン朝スルターン・
アブー・イナーン・ファーリスの命を受けて、イブン・ジュザイーの口述筆記をもって、1355年に、「諸都市の新奇さと旅の
驚異に関する観察者たちへの贈り物」と題する大旅行記(通称、「Rihla」)を著した。
[2014.4.24 東京ディズニーシー「フォートレス・エクスプロレーション」][拡大画像: x25948.jpg][拡大画像: x25950.jpg]
関連図書
・「大旅行記」全8巻)、家島彦一訳、平凡社(平凡社東洋文庫)、1996-2002年
・「三大陸周遊記」、前嶋信次訳、角川書店(角川文庫)、1961年、復刊1989年
・「三大陸周遊記 抄」、前嶋信次訳、中央公論社(中公文庫BIBLIO)、2004年
(上記3つの図書名は異なるが、いずれも「諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物」の翻訳である)。
・「イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる」、家島彦一、平凡社新書、2003年
|