海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, マルコ・ポーロMarco Polo, 東京ディズニーシーTokyoDisneySea

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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    中世ヴェネッツィアの大旅行家マルコ・ポーロ (人物画像)  [東京ディズニーシー]

    マルコ・ポーロは、1271年、父・叔父と共に、ヴェネッツィアを出港、地中海を航海し、今のシリアのアレッポに近い港で上陸し、 アジア東方に向けて陸路をたどり始めた。マルコらの一行は、先ず小アジアのアナトリア高原を横切り、 当時はイル・ハン国 (1258‐1353年) の治世下にあったダブリーズやイラン高原のシーラーズ、さらに今のイランとの国境に 近いアフガニスタンの都市ヘラートを経て (これらのいずれの都市もイル・ハン国の治世下にあった)、パミール高原を越え、 タクマラカン砂漠西方の都市カシュガル (当時チャガタイ・ハン国 (1307年-16世紀) の治世下で、 今の中国新疆ウイグル自治区に所在する) を経て、同砂漠の南側にのびる「西域南道」を通り、3年半の旅の末、ついに フビライが君臨する元の国の中心都市・大都にたどり着いた(マルコらが到着した正確な日付は不明)。 マルコはフビライに気に入られ、17年間特使として仕えた。

      [注] 元のフビライは日本に朝貢(ちょうこう)と服属を要求したが、鎌倉幕府がこれを拒否したため、1274年と1281の2回にわたり元軍が 九州北部に来襲した(いわゆる元寇)。

    1290年代初期のこと、折りしも、イル・ハン国の使節団が、同国のアルグン・ハンの妃に内定していたコカチンを大都に迎えに 来ていた。しかし、使節団は「ハイドゥの乱」のために陸路を取ることできず、南海航路にて妃を帯同することになった。 その時同航路に詳しいマルコらが同行することになった。 17年間中国に滞在したマルコらは、1292年に帰国の途に着き、泉州から14隻のジャンク船団を組んで西方へ出港した。

    今のベトナムのチャンパー (占城・せんじょう) 国を経て、スマトラ島では5ヶ月間の風待ちをした後、セイロン島、 インド西岸マラバールを経由してインド洋を横切り、アラビア海を通って、1293年2月頃にオルムス(Ormus,、ホルムズともいう) に上陸した。航海は2年間にわたり、決して平穏なものではなかったが、コカチン妃やマルコら3人は無事に辿り着いた。オルムス到着後 執り行われた結婚祝賀会を終えると、マルコら一行は陸路でイラン高原のシーラーズ、ダブリーズへと足を進め、黒海の南東沿岸にある 今のトラブゾンの港へと向かった。そこからコンスタンティノーブルへ、更にエーゲ海・アドリア海を経て、1295年にヴェネッツィアに 戻った。通算24年間に及ぶ旅をここに終えた。

    帰国後、マルコはジェノヴァとの戦争に志願し参加したが、捕虜となって投獄されるにいたった。投獄期間中に囚人仲間に旅中や滞在中に おける体験、見聞の話をしたが、これが後に「世界の記述」、即ち「東方見聞録」として残された。 マルコ・ポーロの話を口述筆記した原本は早くから失われた。多数の写本が過去に残されてきたが、それら写本の間においても 有意な差が見られるという。

    辞典内関連サイト
    ・ 「中世アラブの大旅行家イブン・バッツータ (人物画像)」 [東京ディズニーシー]
    ・ 世界の海洋博物館

    [2014.4.24 東京ディズニーシー「フォートレス・エクスプロレーション」に展示された歴史上の人物とその史実などの イラストより][拡大画像: x25963.jpg]


    マルコ・ポーロらの旅を描くイラスト [拡大画像: x25964.jpg]

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