一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
海軍の少年水兵をスケッチする
[パラグアイ首都アスンシオン]
南米パラグアイの首都アスンシオン市街中心地 (セントロ・旧市街区) に戦争の英雄たちを祀る霊廟 (Pantéon de los Héroes) がある。
ドーム型をした霊廟はフランスのパリ・アンバリッド(ナポレオンの墓がある)を模して建造された。霊廟では、時間正しく、
何人かの衛兵が英雄らの霊魂を守り続ける。その任務を離れて一休みする少年水兵がいた。画像は、その水兵の許可を得て
正装姿の彼をスケッチしたものである。画像右下には任務に就く彼の制服姿が部分的に描かれている。
現在では、パラグアイはブラジル、アルゼンチン、ボリビアの3ヶ国に囲まれ海をもたない内陸国であるが、今でも海軍を保有する。 海軍をもつのは、パラグアイがかつて海に面する国家であったが故のことと言われる。 南米諸国のなかでも早い時期にスペインから独立したパラグアイは、いつの時代に海を失い、故に海軍艦船が内陸に閉じ込め られたのか。 パラグアイは、かつてアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイとのいわゆる三国戦争にて敗北を帰し、領土を縮小させられた。 海への出口を失ったのはその戦争の結果であろうか。(パラグアイはその後のボリビアとの戦争では領土をかなり拡大したが、 海への出口を得た訳ではない) 「パラグアイを知る55章」という書物をひも解くと、パラグアイの領土増減の歴史的変遷につき触れられている。 三国戦争の敗北によってその領土を割譲させられはしたが、それで海を失い内陸国になったとは語られていない。 では、パラグアイはいつの時代まで海に面し、かつ海軍を保有していたのか。 スペイン人がペルーに植民し、さらに南下して開拓にいそしんだ16世紀には、パラグアイとその周辺一帯は一まとまりの広大な パラグアイ副王領であった。 それが2つの副王領に分離されたりして、パラグアイ副王領は海への出口を失ってしまったらしい。さてしかし、 スペインの植民統治下にあったそんな遠い昔から海軍は内陸に閉じ込められ、パラグアイ川やパラナ川などの大陸河川において領土防衛 に当たっていたのであろうか。今なお関心をもってその系譜を追い続けている。 [パラグアイ赴任2000.4-2003.3 首都アスンシオンにて/Sketched by Nagisa Nakauchi][拡大画像: x26997.jpg] |