一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
神戸の昔の港景 (その 1 )/メリケン波止場
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画像 1 は、メリケン波止場風景を写す絵葉書である。写真左下には、「異国情緒なメリケン波止場(神戸)、American Hatoba, Kobe」と記される。
また展示の説明書きとして「メリケン波止場 (昭和初期)/石戸絵葉書コレクション Meriken Wharf (early Showa period)」
と記される。出典: 旧神戸移住センターの床面に貼られた「神戸移住マップ」に添えられた、神戸の主要施設紹介写真の一つ。
[拡大画像: x27260.jpg] 画像 2 は、「東神倉庫神戸支店新港倉庫 The Toshin Soko Kaisha's New Warehouses, Kobe」である。 画像に写る倉庫の最上部には「Toshin Warehouse」と書かれている。1万トン級の船が2隻接岸できる桟橋に5階建ての倉庫が横に つらなる。[拡大画像: x27261.jpg][拡大画像: x27262.jpg:説明書き]
画像3には神戸海岸通り(Bund of Kobe)の東からメリケン波止場を臨む、とのキャプションが記されている。
現在神戸市街の乙仲通 (おつなかどおり) の愛称で呼ばれる東西1kmほどの市道は、大正時代には「内海岸通り」と呼ばれた。外国貿易
貨物の輸送、輸出入手続きを行う海運仲立ち業者が集積していた界隈である。 神戸港が国際貿易港としてその最盛期の頃には、2000隻近くの艀船(はしけぶね)が、沖に停泊する大型船と港との間の貨物輸送を担った。 メリケン波止場に隣接する水域には、艀船の集中係留場である艀溜(はしけだまり)があった。 [拡大画像: x27257.jpg]
[参考][英語]bund: n.[インド]海岸通り、バンド、[中国・日本などでの港市の]海岸通り(cf. bluff)、[東洋諸港の]海岸;
[海岸の]堤防(dike)、[インド][海岸・河岸の]築堤(ちくてい)(embankment); 岸壁(quay)、埠頭. [画像撮影 2016.5.28 画像1&2は旧神戸移住センター、画像3は華僑歴史博物館にて] |
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昭和の初め頃の神戸港周辺地図。白い破線の円は移民船出航場所(左から第1、2、3、4突堤)を示す。戦前、戦後に約40万人の移民が
南米諸国へ神戸港から船出して行った。なお、左最下端には川崎造舩所 (Kawasaki Dockyard) が所在する。
画像2の拡大図参照: 中突堤(左端のピンク色)と第1突堤との間にある小さな突堤がメリケン (米利緊) 波止場であった。
中突堤はかつて関西汽船の四国・高松航路、九州・別府航路などの瀬戸内海航路の発着場であった。 [拡大画像: x27284.jpg]
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