一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
歴史の証人、南米航路移民船へいざなう大阪商船のポスター
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戦後、サンフランシスコ講和条約の締結を受けて、日本政府の主導の下、造船業界や海運業界は移住船隊増強へと歩を進めた。
特に大阪商船はその船隊の増強に熱心に取り組んだ。他方、政府は戦後国策として移住を国民に勧めて行った。
南米への移住航路は西航航路 (西廻り航路) が基幹ルートとなっていた。即ち、東シナ海、インド洋 (南アフリカ・ケープタウン経由) を 経て、大西洋横断のルートである。 初期には、日本郵船の神奈川丸、鎌倉丸、河内丸、博多丸、若狭丸、備後丸などが就航していたが、 南米の国や都市名を船名に冠した大阪商船のもんてびでお丸、さんとす丸、らぷらた丸、ぶゑのすあいれす丸、 りおで志"ゃねいろ丸、あるぜんちな丸、ぶらじる丸などが圧倒的に多く就航するようになった。 画像2は大阪商船の「ぶえのすあいれす丸」(Buenos Aires Maru)をフルスケールのモチーフにしたポスターである。 「毎月一回出帆、神戸サントス間46日、新造優秀船ぶえのすあいれす丸就航」と銘打つ。 寄港地として、香港、シンガポール、コロンボ、ダーバン、ケープタウン、リオデジャネイロで、サントス、モンテビデオ、 ブエノスアイレスと記されている。 [画像撮影 2016.5.28 神戸・旧神戸移住センター][拡大画像: x27285.jpg][拡大画像: x27286.jpg] |
南米移住者その他乗船者向けに発行された各種の渡航案内書、例えば「御乗船の手帳」(大阪商船)、 「南米渡航案内」(東洋汽舩株式会社)、「南米航路-御乗船と寄港地の観光ご案内」(ローヤル・インターオーシャンズ・ ライン)「南米ブラジル事情:附渡航案内」「ブラジル事情と其渡航法」、「植民ガイドブック1933」が例示的に紹介されている。 (出典: 旧神戸移住センターでの展示パネル) [拡大画像: x27273.jpg]
2. 移住ポスターのいろいろ
神戸を出港した船はインド洋、アフリカ経由で南米に向かった。 昭和初期の大阪商船の南米航路の場合、寄港地は香港、シンガポール、コロンボ、ダーバン、ケープタウン、リオ・デ・ジャネイロである。 サントスには44日目に到着し、モンテビデオ、ブエノス・アイレスには53日目に到着した(赤色実線。赤色破線は帰路)。 航海距離は約12,000海里(約22,000km)。 アマゾンの移住地に向かう移住者はリオで下船し、別船に乗り換えて旅を続けた。サンパウロに向かう者はサントスで下船した。 アフリカ航路の場合、香港、シンガポール、コロンボ、モンバサ、ザンジバル、ダルエスサラーム、ベイラ、ローレンスマルクス、 ダーバン、ポート・エリザベスを経て、ケープタウンに44日目に着、サントスには56日目に到着した(黒色実線。黒色破線は帰路)。 (航路図参照)[拡大画像: x27274.jpg] |