一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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昭和初期の北海道ニシン漁光景 [小樽市総合博物館]

画像は「北海道ニシン漁光景」と題された絵葉書である。「仮納家 (かりなや) に山を成す鰊(小樽いろは堂発行)」と記される。 キャプションには「山をなすニシン。 昭和初期。小樽市塩谷付近。小樽周辺のニシン漁は、明治後半から徐々に下降線をたどる。 水揚げが皆無の年もあり。昭和28 (1953) 年が最後の大漁」と記される。

因みに、ニシン漁展示コーナーの総括キャプションには以下のように記される。

    「ニシンがもたらしたもの。 17世紀ころから、北海道の日本海側ではニシン漁が盛んにおこなわれてきました。 19世紀以降大量に捕獲されたニシンは、肥料として、特に西日本で消費されていました。

    小樽周辺では18世紀半ば以降、道内でも屈指の漁獲高を誇るようになります。 19世紀半ばからは建網などの漁法の改良や機械化により、漁獲高はさらに大きくなります。莫大な水揚げは、経営者だけではなく、 漁場で働く漁夫やその家族、地域の経済に大きな影響を与えました」

ニシンはアイヌにとって「神の魚」といわれた。その漁獲量は明治末期を分水嶺にして激減し、昭和30年以降ニシンは北海道沿岸から 姿を消してしまう。

北海道に春を告げるニシンの群来(くき)。群来とは3月から5月にかけて北海道の日本海沿岸へニシンが産卵のため 押し寄せることをいう。押し寄せれば、沿岸の海一帯が雄の精子で白く濁る。その光景は誠に壮観であったという。

[画像撮影: 2016.9.24/小樽市総合博物館にて][拡大画像: x27363.jpg]


左の画像にある鉄製装置は「粕くだき」という道具である。粕くだきは「昭和初期。ニシン粕はプレスされたあと、玉切包丁で 切り分けられるが、さらに細かくするために昭和初期から、この道具が使用された」と記される。

画像右側の木片の札は「万棒(まんぼう)」と呼ばれる。昭和初期のものとされる。万棒はもともと船の荷役で 俵などに挿しておき、船積み後に棒数が荷数となるというもの。万棒にはニシンを卸した漁業組織、漁場、重量などが記されている。 [拡大画像: x27364.jpg]


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