一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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琵琶湖疏水(小運河)での水面高低差を克服したインクライン

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画像は滋賀県立琵琶湖博物館に展示される琵琶湖疏水 (そすい) の画像2点である。疏水とは、陸地を開削して造られる水路、 あるいは小運河である。用途は様々で、飲料水や農業灌漑用水などの確保、水上輸送・舟運、発電などである。

琵琶湖疏水は京都市内の住民らのための飲料水の確保、発電、水上輸送などを目的として、掘削された。明治維新において東京へ 遷都がなされたが、その後の京都の経済・社会・産業的発展につなげるために、この疏水建設が企画された。 疏水は、1890年(明治23年)と1912年(明治45年)に、琵琶湖から京都市街に通じる2本が開通した。

琵琶湖の水面と京都市街地側の「蹴上の船溜まり」との間には高低差があり、舟を通すにはそれを 克服する必要があった。工事技術者らによる海外水路工法の視察と研究の結果、インクライン方式が採用された。 パナマ運河のようないわゆる閘門方式 (水路に幾つかの開閉扉を造作し、閘室を設けて「水の階段」のシステムを つくる) は採用されなかった。

インクライン方式では、標高の異なる水面間に横たわる陸地に緩やかなスロープ(斜路)を造作する。そこに軌道(レール)を敷き、 舟を積載できる運搬車両を行き来させる。同運搬車は、ケーブルカーを上下させるように、鋼製ワイヤーにつなぎとめる。そのワイヤーを 巨大な綱車をもって回転させることで、引き揚げたり下げたりする。綱車の回転は疏水を利用した水力発電でもって行なわれた。また、電気は 京都市街地での市電の運転にも活用された。

画像 1 は、そのインクライン方式で使われた運搬車両である。
画像 2 は、京都市街地側からインクラインで昇りつめたところの「蹴上の船溜まり」(琵琶湖の湖水面と同じ高さ) と見られる。 さもなければ、その反対側の山科か琵琶湖側における船溜まりと推測される(展示には説明書きなし)。

検索キーワード: 建設当時の京都府知事・北垣国道 (きたがきくにみち)、疏水建設工事の指揮者・田邊朔郎 (たなべさくろう) 博士、 インクライン、蹴上(けあげ)。

[参考]遠い昔より、日本海-琵琶湖-瀬田川-淀川-大阪湾をつなぐ運河を開削するという発想は存在したが、 実現されることなく今日にいたっている。

[画像撮影: 2016.10.10/滋賀県立琵琶湖博物館にて/画像の年代は不詳 [拡大画像: x27425.jpg][拡大画像: x27426.jpg]


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