一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


大西洋をまたぐ三角貿易 (16~18世紀) の海上ルート図/奴隷売買
[大阪・国立民俗学博物館]

国立民族学博物館(大阪)に展示される「大西洋の三角貿易 16~18世紀」と題する一枚の地図には、アフリカにおける 黒人奴隷のいくつかの代表的な送り出し地が記されている。アフリカ西岸のセネガルのゴレ島、ビサウ、象牙海岸、 黄金海岸(エル・ミナ、ケープコースト)、奴隷海岸、ベニン、アンゴラ(ルアンダ、ベンゲラ)、モザンビークなどである。そして、 大西洋をまたいで、アフリカ大陸、アメリカ大陸・西インド諸島、ヨーロッパ大陸間の三角貿易の海上ルートが示される。

パネルの説明書きに曰く、「奴隷貿易 16世紀、西欧諸国は南北アメリカ大陸で農園経営に乗り出し、アフリカの人びとを 奴隷として大量に動員するようになった。こうしてアフリカの5世紀にわたる抑圧の歴史がはじまる。アフリカ=野蛮という 主張は、奴隷貿易を正当化するために、作り出されたものである」。

後に大航海時代と称される西欧人による「地理的発見」の時代があった。 「発見」されたいわゆる「新大陸」は次々と征服され、植民地化された。そして、西インド諸島、中米、 南米大陸のブラジル、ペルー副王領、さらに北米大陸の南東部へと、アフリカの黒人は奴隷として、「黒い積み荷」として輸送された。

新大陸では、金銀の採掘をはじめ、サトウキビ、タバコ、コーヒー、綿花などのプランテーションでの栽培に大量のそれらの奴隷が 酷使された。栽培された大量の砂糖、綿花(いわゆる「白い積み荷」)、葉巻タバコ、コーヒーなどが、ヨーロッパへと運ばれた。 ヨーロッパからアフリカへは、繊維製品、武器小火器、ガラス、綿布、ラム酒などが持ち込まれ、それらの品物と奴隷とが 交換された。武器は敵対する部族間に供給され、捕虜すなわち奴隷の確保のための手段となった。 新大陸の白人入植者・プランテーション事業家らは莫大な富を蓄えていった。

因みに、イギリスでも砂糖、コーヒー、綿織物を売って富を蓄えて、資本主義経済の基礎が築かれて行った。 17、18世紀にかけて、英国などヨーロッパではコーヒーなどの喫茶風習が拡大し、砂糖への需要も急激に拡大した。 それらの生産拡大のために西インド諸島、ブラジル北東部では労働力が必要とされた。それらの生産量の拡大につれて比例的に奴隷の 移送数も増加して行った。

奴隷の一部は米国南部へ輸出され、多くは綿花プランテーションで酷使された。綿花は英国の織物工場へと輸出され、産業革命の 基盤となり、資本主義の基盤ともなった。

[画像撮影: 2012.6.4 & 2014.10.4 大阪・国立民俗学博物館 (National Museum of Ethnology) にて][拡大画像: x26946.jpg]

1
1. 「ケープコースト城 かつては、奴隷の積み出しの拠点のひとつであった ガーナ」と記される。  [拡大画像: x26947.jpg]

2 3
2. 奴隷を繫いだ鎖。 [拡大画像: x26948.jpg]
3. 奴隷を繫いだ足かせ(足枷)。 [拡大画像: x26949.jpg][拡大画像: x26950.jpg: 全体画像]


Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ