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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    御宿町歴史民俗資料館とガレオン船遭難救助の史実展示
    The Onjuku Museum of History and Folklore & The Library of Elementary School Textbooks of the World


    [拡大画像: x29086.jpg]

    江戸時代初期のこと、その当時スペイン領であったフィイリピンの前総督代理ドン・ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコが任期を 終えて、ガレオン船「サンフランシスコ号」にてマニラ港から出帆し、メキシコのアカプルコに向けて帰還の途に就いた。 その途上のこと、同号は西暦1609年(慶長14年)9月30日夜半、暴風雨のために外房南東の岩和田の田尻沖で遭難した。 村民は時を移さず総出で駆け付け救助活動に当たったという。また、海女たちは素肌で異国の人々を温め蘇生させたとされる。 松本勝哉氏が描いた絵画「サンフランシスコ号乗員遭難救助」(画像3)には、海女をはじめとする村民らが必死に救助する情景を見ることができる。

    乗組員373名のうち、溺死者56名、生還者317名と伝えられる。領主本田忠朝の理解ある措置、将軍・徳川秀忠、殊に家康の取り計らいに よって新船が建造され授与された。そして、翌1610年、前総督一行は相模の浦賀からメキシコへと旅立った。この出来事は後に 日・西・墨3か国の交通発祥の基にもなった。そのことから、同海岸高台のメキシコ記念公園に日西墨三国交通発祥記念碑が1928年・昭和3年に 建立された。

    画像(上)は、外房・御宿町にある「歴史民俗資料館」における「サンフランシスコ号」の遭難救助などに関する史実を紹介する展示風景である。

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    1&2. マニラ・ガレオン船「サンフランシスコ号」の模型と絵画。当時の船を1/50に縮小したもの。

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    3. 「サンフランシスコ号乗員遭難救助」、作・松本勝哉氏/4. 御宿町歴史民俗資料館・五倫文庫(世界初等教育教科書文庫)の全景

    [画像データ: 2021.10.29/千葉県・御宿町歴史民俗資料館にて]


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