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写真には次のように記されている。

あるぜんちな丸 (Argentina Maru)
1958年4月30日、神戸の新三菱造船所にて建造
総トン数: 10,863.72
排水トン数: 6,403.55
載貨重量トン数: 10,314.42
最大吃水: 8.72m
最大速力: 19.8ノット
全長: 156.48m
船幅: 20.40m
収容船客数: 1,055人
船種-混合型 (貨物・旅客)
博物館への寄贈者 Mitsui O.S.K. Lines
[注] Argentina Maru: 英語では「アージャンティーナ」丸、スペイン語では「アルヘンティーナ」丸となる。いずれも、アルゼンチンを意味する。
全くの余談だが、小学校6年生の頃から、南米航路船のマドロスにあこがれていた。
中学英語教科書「Jack and Betty」のグラビアによく出てきたニューヨークの摩天楼、エンパイア・ステートビル、そしてニューヨーク航路船
にもあこがれがなかった訳ではない。
だが、なぜか南米航路のそれに強烈なあこがれを抱いていた。
自分でも、今でもその理由は分からない。
当時、サントスはコーヒーの積出港として活気を帯びていた。
また、数多くの日本人南米移民が夢と大志を抱いて降り立ったサントス。
溶岩ドーム型の山、山の頂上に立つ巨大なキリスト像が出迎えてくれる世界三大美港リオデジャネイロの港
(幼少の頃の船の雑誌にはリオに入港する日本船の写真がよく掲載されていた)。
そして、何よりもタンゴが流れる港町ブエノスアイレスに、なぜだか強烈なあこがれがあった。
青年になってからも、一人で神戸のメリケン波止場で大きな船をぼんやり眺めながら、
幼い時の夢を思い起こすことが多かった。
話せば長くなるのでやめるとして、そんな夢は破れ去り、遠い過去のものとなっていた時代が長く続いた。
しかし、小学6年の時から数えて何と25年後にして、ブエノスの地に降り立ち、タンゴにも触れた。
それからさらに10数年して、あこがれだったサントスの波止場に自分の脚で立った。
(最初の移民船「笠戸丸」が1908年に着岸したとされる14番埠頭―港の拡充で位置は今は異なっている-は訪れてみたい地であった)
人生何と遠回りしたことか、という思いを捨て難かった。
そして、幼少の頃の夢が今実現しているのだという感慨で、自分一人で人知れず身震いさえ感じていた。
その感激を決して忘れることはできない。
[画像撮影: ブラジル・サントス港博物館にて/2001]
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