一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
太平洋の探検家キャプテン・クックの像
シドニー市内の広大な森の公園「ハイド・パーク」に建つ(1879年建立)キャプテン・ジェームズ・
クックの銅像。台座には「DISCOVERED THIS TERRITORY 1770」(クックは1770年にこの地を発見した)と刻まれている。 * * * * * 「エンデヴァー号」(HMB Endeavour)は18世紀の英国の小型帆船である。 1768年に商業用の石炭運搬船として建造されたが、後にキャプテン・クックの太平洋探検航海のために改造され、エンデヴァー 号へと改名された。正式名は「国王陛下の三檣帆船エンデヴァー号(Endeavour Bark)」である。 主要目としては全長32.3m、全幅8.9m、重量トン397トンの小さな帆船(バーク型)であるが、フル・リグド・シップ (全装帆船 full-rigged ship)である。 南太平洋への第一回探検航海において「エンデヴァー号」に乗り込んだのがジェームズ・クック海軍大尉である。 国王ジョージ3世の統治下のことである。クック大尉がまずめざしたのは南太平洋上のタヒチであった。その表向きの目的は 金星の日面通過観測であった。1768年8月8日、英国のプリモスを出港、南米リオ・デ・ジャネイロを経由、 ホーン岬を回航し、一路タヒチへと向かった。その総乗組員は94人であった。同島では観測のため3ケ月間錨泊した。 その後「南方大陸(テラ・アウストラリス、Terra Australis)」を探索するという密命をおびてニュージーランドへと向かった。 NZの海岸線を測量し、NZからさらに西方へ航行、1770年4月19日にはオーストラリア大陸を発見した。4月29日には、現在 カーネルと知られている地点でオーストラリア大陸に初めて上陸した。 クックは当初、オーストラリア大陸に初めて上陸した時の入り江を「アカエイ湾」と名付けたが、 最終的には「ボタニー湾」と呼ばれるようになった。その後、クックは、オーストラリア大陸沿岸を測量したが、 グレート・バリア・リーフ内の、今日「エンデヴァー礁」と称されるサンゴ礁に1770年6月10日夜座礁した。 しかし、懸命な離礁活動を経て沈没をまぬがれ、6月13日クックが「エンデヴァー川」と命名した川にたどり着いた。 1770年11月9日、インドネシアのバタヴィア (現在のジャカルタ) に無事到着。英国には翌年の1771年7月11日に帰着した。 この航海で、クロノメーター(船内精密時計)とその計算式をもって、航海中の経度を正確に計算した歴史上初めての 船長となった。
ジェームズ・クックは、1772年に海軍大佐(正式にはポスト・キャプテン post captain。海軍大佐艦長のこと)に昇任した。 [2011.04.04-12 オーストラリア国立海洋博物館にて][拡大画像: x23423.jpg] |
1 2 1. シドニー市内のハイド・パークに建つキャプテン・クックの銅像。 [拡大画像: x23424.jpg(なし)] 2. 同上。 [拡大画像: x23425.jpg]
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