海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, バンザイ・クリフBanzai Cliff, サイパンSaipan, マリアナ諸島Mariana Islands, ミクロネシアMicronesia

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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南洋の激戦地サイパン島/バンザイ・クリフの海

サイパンでの太平洋戦争略年史

* 1941年 太平洋戦争が始まる。
(1943年8月におけるマリアナ諸島サイパン島の人口は、日本人(台湾人・朝鮮人を含む)29,000余名、チャモロ人など約4,000名であった)

* 1944年6月15日 (米軍のサイパン上陸) から7月9日 (日本軍の敗北) までの25日間、日米両軍がサイパン島にて激戦 (いわゆるサイパンの戦い)。ホランド・スミス中将が指揮する米軍 第2海兵師団、第4海兵師団、および第27歩兵師団が、斎藤義次中将が指揮する日本軍第43師団を潰滅し、サイパン島を占領した。

当時日本はグアム島をも占領し、サイパン島には司令部を設置していた (最後の司令部は島北端にある海抜250mのマッピ山の断崖下に 設置された。現在のLast Command Post)。 米軍にとっては、マリアナ諸島のサイパン島、グアム島、テニアン島は爆撃機による日本本土への往航と攻撃、およびその復航を可能 にする地理的位置にあった。日米両軍にとっては戦争の帰趨を決する死活的に重要な島嶼であった。 米軍は日本本土を襲撃しながら先ずはこれらの島嶼を占領することをその戦略の要とした。

* 1944年6月15日、米軍はサイパン島南西部の海岸から上陸することに成功する。米軍は島の北方へじりじりと攻め上がり、 日本軍および民間人は次第に島の北端へと追い詰められた。連日、海岸・ジャングルのいたるところで激戦となった。 援軍も来ず、日本軍は北方へ逃げる以外に選択の道はなかった。
島の最北端は断崖絶壁となっている。そこに追い詰められた日本軍・民間人たちは、「生きて虜因の辱めを受けず」と、 投降を拒んで岬から身投げし自決の道を選んだ。最北端の海の遥か彼方には母国・日本がある。母国に向かい「バンザイ!」と叫びならが 身を投じた、その断崖の名は「プンタン・サバネタ (Puntan Sabaneta)」と「ラデラン・パナデロ (Laderan Banadero)」と呼ばれる。 現在、前者は「バンザイ・クリフ (Banzai Cliff)」、後者は「スイサイド・クリフ(自決の崖 Suicide Cliff)」という名で知られる。
画像に写る、荒波の打ち寄せる断崖はかの有名な「バンザイ・クリフ」である。

* 同年7月9日、25日間の激戦の末、日本軍は敗北した。この戦いで、米軍戦死者14,000人、日本軍戦死者30,000人、 また朝鮮人、サイパン人をも巻き込んで民間人15,000人が犠牲となった。生存者はわずか1000人余りと言われれる。

* 米軍はさらにグアム島、ロタ島、テニアン島へ次々と上陸する。グアム、サイパン、テニアンの3島に滑走路を建設し、 日本本土へ直接攻撃できる陸上拠点をえる。日本にとってこの死活的に重要な防衛拠点を守り抜くことができず、 事実上日本は自国周囲の制空権を失った。 米軍はこれら島嶼を拠点とし、一気に日本本土への爆撃を強化させて行った。まさにサイパン占領・陥落は戦争の一大転換点となった。 爆撃機として使用されていた B-29 はこの3島だけでも最大600機以上にも及び、東京・名古屋・大阪・神戸などの主要都市への本土攻撃は 日に日に激しくなった。

* 1945年3月9日から10日間に、325機におよぶB-29爆撃機がサイパン、テニアン、グアムから飛び立ち、東京に大量の焼夷爆弾を 投下、83,000人の死者となる。その後も焼夷爆弾による攻撃は続いた。1945年4月、米軍が沖縄に上陸する。

* 1945年8月6日午前4:00過ぎ、B-29爆撃機編隊がテニアン基地を発ち、編隊の一機「エノラ・ゲイ号」が8:15分広島市上空にて 原爆を投下した。その3日後には第2の原爆が長崎に投下される。

* 1945年8月、ポツダム宣言を受諾。同年9月2日、戦艦「ミズリー号」上で無条件降伏文書に署名、正式に戦争終結に至る。

[2012年5月14日、サイパン島バンザイ・クリフにて][拡大画像: x24489.jpg]




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1. 「バンザイ・クリフ」。多くの民間人がこの断崖から身を投じた。この岬から北方にたどり行けば祖国・日本である。左上端には 戦没殉難者慰霊碑が建つ。 [拡大画像: x24490.jpg]
2. 背後はマッピ山の断崖絶壁「スイサイド・クリフ」。断崖には米軍による艦砲射撃などの無数の跡が刻まれている。この断崖からも多く の日本人が身を投じた。 [拡大画像: x24491.jpg]

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3. 戦没殉難者慰霊碑が建つ。近傍のいずこかで、「風雨に錆行く鉄は過去の愚行の証人」と記される碑をみる。 [拡大画像: x24492.jpg]
4. 最後の日本軍司令部 (ラスト・コマンド・ポスト)。岩崖の下に施されている柵の後ろ側にコンクリートで要塞化された洞窟があり、その中に 司令部があった。周囲には戦車、対空砲などの残骸が残る。 [拡大画像: x24493.jpg]

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5. 「スイサイド・クリフ」と称される、高さ100mはあろうかと思われる断崖の上から「バンザイ・クリフ」(画面中央の白い線部) 方面を見下ろす。 この北方遥か彼方に日本が位置する。 [拡大画像: x24494.jpg]


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