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北マリアナ諸島歴史文化博物館(旧南洋庁サイパン医院) (Northern Marianas Islands Museum of History and Culture,
NMI Museum of History and Culture) で興味をひいたのは、ガレオン船「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・コンセプシオン号」
(2,000トン、全長45m)の模型と、同号の難破遺物の展示である。
その昔、通称「マニラ・ガレオン Manila Galleon」(*)というスペインの交易船が、メキシコのアカプルコとフィリピン
のマニラ間の太平洋を行き来した。サイパン、グアムは、アカプルコからマニラへ西航するそのルート上にあり、しかもほぼ同緯度
上にあった。
1638年9月、同島南岸沖で「コンセプシオン号」は沈没した。沈船から大量に引き揚げられた陶器製貯蔵壺、金属の人工遺物など
(**)の他、同艦のものとされる小型砲・弾丸などが展示される。
* スペイン交易船「マニラ・ガレオン」の航海ルート: メキシコのアカプルコから北赤道海流に乗って、真西方向に航海し、
グアム、サイパンなどのマリアナ諸島をめざした。さらに西航してフィリピンのマニラに至る。帰途においては、マニラから
黒潮(日本海流)に乗って日本沖を北東へ船を進め、黒潮続流の北太平洋海流に乗ってあらかた大圏コースに沿って太平洋を横断し、
さらにカリフォルニア海流に乗って北米大陸沿いに南下、アカプルコへいたる。
アカプルコから陸路でメキシコを横断し、大西洋岸のベラクルスへ。そこからガレオン船などに乗り継いでスペイン本国へいたる。
** 「コンセプション号」のコレクション: きわめて寛大な契約にて北マリアナ諸島政府(CNMI Gov't)が「Apex Corporation
of Japan」の会長Mr.Hajime Moriから購入したものである。
[2012.5.13-16 北マリアナ諸島・サイパン島にて][拡大画像: x24525.jpg]
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1. ガレオン船「Nuestra Señora de la Concepción」の銅製の大砲?
難破から46年後の1684年、スペイン人が「Concepción」と共に沈んだ砲を引き揚げた。その砲は50mmの弾丸を打ちはなった
小型の「ペドレーロ pedrero」という砲である。サイパン島の日航ホテル(Nikko Hotel)の基礎を掘っていた工事関係者が、
同号の沈没地点から北方6マイルで発見したものである。「Concepción」のようなスペイン交易ガレオン船において使用された
ものと型式のものである。
[拡大画像: x24526.jpg][拡大画像: x24531.jpg: 説明書き「Bronze Cannon」]
2. 「Concepción Galleon ガレオン船「コンセプション号」- 156 pottery storage jars (156個の陶磁製の貯蔵用壺)」
サイパンの南方海岸沖にて、1638年9月の嵐の日に、マニラ・ガレオン船「Nuestra Señora de la Concepción号」(2000トン、
全長45m)は、ゆっくりと沈んでいった。 Agingan Point沖のぎざぎざした珊瑚礁の上に船体はばらばらになったので、
船倉の積み荷は全て浅い海に投げ出された。
350年後、考古学者はその残骸がどんな風にばらばらになったかを沈没地の地図上に描いた。幸いにも船体は水深の深い所に横たわった。
水深60mのところに無傷のままの貯蔵用壺がリーフ内の海底に塊となって横たわった.
[拡大画像: x24527.jpg]
* 「Concepción Galleon」の絵画等 [拡大画像: x24532.jpg:絵画1][拡大画像: x24533.jpg:絵画2/難破][拡大画像: x24534.jpg:
絵画3]
「Manila Galleon」の航海ルート図
[拡大画像: x24535.jpg][拡大画像: x24536.jpg:説明書き「Early European Contact and Spanish Colonization」]
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