一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
見沼通船堀/第3話: ⌈ひらた舟⌋の閘門通過の実演&メカニズム
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画像は、平底の⌈ひらた舟⌋による見沼通船堀の閘門 (関・堰) 通過の実演風景を示す。
[出典] * 通船事業は、新田開発に功績のあった鈴木家、高田家が差配役となって行われ、1874年(明治7年)に⌈見沼通船会社 ⌋が設立されるまで続いた。明治時代での通船事業は盛況であったが、陸運の発展により次第に衰退し、大正末期には事業は ほとんど行われず、1731年に開通して以来約200年間続いた通船事業は1931年 (昭和6年) に廃止となった。
岡山大学の馬場俊介教授(土木遺産学)の論文 (2008年発表) によれば、現存する国内最古の運河水門は、岡山市の吉井水門(岡山県史跡)であり、 供用されたのは1679年であった。2番目に古いのは来原岩樋 (くりはらいわひ)(1700年)(島根県出雲市) であるとされる。
1 ![]() ![]() 1. 埼玉県立川の博物館・見沼通船堀の展示パネル全体。 [拡大画像: x24450.jpg] [拡大画像: x24612.jpg: 説明書き「見沼代用水と通船堀のここがすごい!」(内容は下記の通り)]
まず、地図をかかなければなりません。かんたんなきかいでとても正確な 地図をかきました。また途中で別の川と交わるところでは川の下を通したり (伏越・ふせこし)」、川のためのかけ橋(掛渡井・かけとい) をつくったりしました。今のようなべんりなきかいのない江戸時代に、とてもすぐれた工事をおこなったのです。 代用水は田んぼに水を与え、田んぼから出る水は芝川を通って荒川へながれました。この代用水と芝川をつないだのが見沼通船堀です。 ただ水路を掘ったのではなく、3mも高さのちがう川を結ぶので、水面の高さを調節するための「閘門」(関)というしくみをつくりました。 これで舟が荒川から見沼の村まで通り、とてもべんりになりました。⌋ [注] パネルでは小学生に分かりやすいように平仮名が多用されている。 ⌈角落板⌋ (かくおとしいた) を落として水位を上げる。板を落とした後、棒で寄せて鳥居柱に当てると水圧で板が固定される。 [拡大画像: x24614.jpg][拡大画像: x24619.jpg: 説明書き⌈見沼溜井から見沼代用水へ⌋]
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3‐5. 角落板を全て落として最高水位にした。板を抜き取る⌈枠抜き⌋ (わくぬき) 作業: 板を抜き取ると水が勢い
よく下流へ流れる。板には箪笥(たんす)に用いられるような金環がついていて、棒の先についた鉤で引っ掛けて引き上げ、抜き取る。 閘門(関・堰)通行のメカニズム 上記で説明した⌈通行のメカニズム⌋を、別図⌈閘門を使った通船の方法⌋をもって再度概説する。
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